コロナ日記 vol.2

 朝3:15頃。何故か目が覚める。日中はずっと眠りっぱなしだったからいい加減嫌気がさしたのか。筋肉痛と関節痛。自分の体が組み替えられているような、そういう気配を感じる。がちゃがちゃに絡まった配線を解して解してだいぶ痛みがなくなった! 熱下がったかな??? と思って熱を測ったら、38.7℃とのこと。下がらんねえ。ただ、だいぶ楽になった。助かる。今日は色々動けると思う。深夜にはロマンがあるねえ。

 朝8:21頃。元気! と思って熱を測ると37.9℃。回復しつつある、のか?

 昼11:15頃。37.6℃。少しずつ回復しているのだろう。昨日のような高熱が数日続くようならだいぶメンタルがやられたと思う。回復傾向にあるが何もやる気にならない。行動が制限されている。元来引きこもりなので部屋に篭ってる分には構わないが、自分で望んで引きこもるのと、外から要請されるのとでは意味合いが異なる。人間、自分が望んで行うことに対しては嫌悪感を抱かない。療養が明けたらやりたいこと。温かいものを食べたい。窓の外の世界は明るい。絶好のお出かけ日和だというのに。

 昼13:50頃。37.6℃。頭が重たい。首を垂れる向日葵のように、頭を支えられない。それでもだいぶ回復してきた。部屋の掃除をしたい。生活が己を支えているのだということを強く実感する。

 現状のコロナ対応の印象。体調管理のシステムで重症化しそうな人を早い段階で拾う。軽症者は自宅で療養。感染経路の調査はしない。オミクロン株BA.5の流行で病院も逼迫しており、そもそもコロナ陽性と診断されるのに時間がかかる人もいる気がする。だから、コロナに罹った後の生活に備えることも重要だが、感染の疑いがあるときにどこで検査を受けられるのか、ということを考えておくのは大切だと思う(そこを考えなければいけない風になっているのは、システムの問題だと思うけど)。

 味覚障害・嗅覚障害はない。ストックしていたパイン飴はいつものパイン飴の味だ。美味。身動きがとりづらい中で、飴ちゃんは希望である。甘いものは精神を安定させる。療養が明けたら、美味いものを好きなだけ食ってやるんだー!という気持ち。肉を食べたい。ステーキ、ステーキ。

 このまま順調に回復の一途をたどるのであれば幸いにも重症化は避けられたのだろう。コロナは肺炎を引き起こし重症化、というイメージがあったが、私の場合は、とにかく熱!筋肉痛!関節痛!だった。あの体の痛みはどうにかならんのかね、と恨み節である。あの感覚はワクチンを打った時の副反応と似ている(そしてそれより強烈)。

 夜18:15頃。37.9℃。熱が下がらんねえ、と思って、そういや解熱剤を飲んでいなかったことに気づく。飲んだ。これでまた一段階下がると良い。ただ、この熱でも動かなければ(動くと頭が重たいし眩暈がする)普段と変わりなく作業ができるので「まあ良いか」と思っていたのだ。まあ、良くはないね。薬は飲め。

 普段常用する薬もないのでこういうときにしか薬は飲まないが、一粒一粒に人類の長年の研鑽と叡智が詰まっているのだと思うとドキドキしてしまう。ロマンだ! 薬というのはとても人間らしい人工物。そういえば、子どもの頃の私は錠剤(況やカプセルをや)を飲むのが苦手で、風邪の際は決まって粉薬にしてもらっていた。いつから錠剤を飲めるようになったのか。今でこそ飲めるようになったが、自分で無理やり口の奥に錠剤を突っ込んで、それからでないと飲めないというところは変わらない。

 

 習慣によって自分は支えられているのだと痛感する。三日前の私は自由に色々なことができたのだと思い知らされる。

 

 悲しいことに(それを「悲しい」と表現してしまう自分が悪い)人とのつながりがないと生きていけないのね、とも思う。また人と人との関わりがあるからこそ感染もするわけですが。

 

 結局宿泊療養はキャンセルしたので、夢みるホテル宿泊はまたの機会である。まあ、そのうち。

 

23:30頃、寝てたところ起きる。と、喉がめちゃめちゃ痛いことに気づく。はあ? 何故!? と困惑している。イメージとしては喉一面にイチゴジャムを塗った感じなのだが、そのイメージもよくわからない。