メモランダム vol.8

「ベールの彼方に」

 「この本を買ってほしい」と手に取ったのが『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』だったことはよく覚えている(その本を買った本屋は今は潰れ、不動産業者のオフィスになっている)。

 ハリーポッターシリーズがめちゃめちゃ好きなのですか? と聞かれると、一瞬答えに詰まる。別にそこまで好きなわけではないと思うな。ただその上で、一言だけ言うならば、私はハリーの良さでもあり欠点でもある頑固さが次第に苦手になっていったということだろうか。どうして人の話を聞かないのだろう、って思ってた。それを今の私にそのまま言ってやりたいね。人の話は一旦聞いた方がいい。そして人の言葉に言いなりになる必要はないのだ、と。

 


注意:この後ハリーポッターシリーズのいわゆるネタバレのようなものがあります。これからこの作品に触れようと思っている人は注意ください。

 

 

 

 

 

 

 ハリーポッターシリーズの中で印象に残っているシーンがある。それは「不死鳥の騎士団」で、ハリーの名付け親であるシリウス・ブラックがベラトリックス・レストレンジにやられるところだ。

 二番目の閃光がまっすぐシリウスの胸に当たった。
 シリウスの顔からは、まだ笑いが消えてはいなかったが、衝撃でその目は大きく見開かれた。

 シリウスが倒れるまでに、永遠の時が流れたかのようだった。シリウスの体は優雅な弧を描き、アーチに掛かっている古ぼけたベールを突き抜け、仰向けに沈んでいった。

J.K.ローリング作 松岡佑子訳『ハリーポッターと不死鳥の騎士団㊦』p.597

 

 7月8日の事件に際して、念頭に置いていたのはこのシリウスのシーンであった。

 

 亡くなった政治家のことはそれはそれとして、一人の人間が死にゆく瞬間を大勢の人間が見ていて間接的に私も目撃することができたという話。その政治家が生前どんなことをしたのか、そして死後どのような影響を我々に与え続けているのかということはこの文章においては関係ない(無論、それらは丁寧に一つひとつ評価検討されるべきだと思っている)。

 で、私が考えていたのは、別にあの人だけじゃなくて、たくさんの人がそういう瞬間を日々迎えてどこかに行っているということで、例えばあの人を中心に広がった波紋を受けて亡くなった人とかも当然いて、そういう人もやっぱり瞬間を味わったわけだ(不本意なものであれば、その無念は如何に)。つまり、別にあの人が特別なわけではない(亡くなり方は特別だが)。そこに思い馳せるべきなのではないか。それをもっと重く受け止めるべきではないかということについてぐだぐだ考えている。

 加えて、上記のような姿勢は、私のは7月8日の事件を、記号というか一つの事象として見ようとしているとも言えて(さっき言った「重く受け止めるべき」という姿勢とは少し違うように思う)一個人を蔑ろにしているような気もしてならない。なのであまり長くこの件を引っ張ろうとは思っていない。

 どうやらその瞬間を味わうとこちらには戻ってこれないらしい(まれに戻ってくる人もいる)。とても残念である(そしてだからこそ生きるということはある種の尊さを帯びるのだと理解している)。今回のような事件があると、「うーむ、あの人が直前で見た景色はどういうものだったのだろう」と気になってしまうのだった、困ったことだ。

 この件はこれでおしまい。今回に関しては考えるのを終わりにする。

 

 

起床

 MP(マジックポイント)が底を打つという感覚。理由は色々あって、日中にひどく精神を消耗することがあったとか、インプットが多くて処理に疲れたとか、睡眠時間が確保できていないとか、体調が悪いとか、とにかく、色々だ。

 その日やりたいことができていない消化不良感からずるずる夜更かしをし(そして何もしない)睡眠不足は解消されず翌日になっても回復しないという悪循環に陥るのは悲しいのでさっさと寝た。

 この時期、夜はぎりぎり扇風機でどうにかなる温度だと感じる。朝5時55分に起きると、昨日に比べれば「ちょうどよい」に近づいていると感じた。過ごしやすい気温ということと、ペースがちょうどよいという感じ。

 

闇深い

興味の抱き方が1と0(そしてその間のグラデーションなので)「1:興味ある」にカテゴライズされてしまえばあとは自動的に私の脳が処理をしていく。この考え方の特徴的な部分といえば、1の中にグラデーションがないことだろう。それはさておき。

面白いなぁ〜このキャラと思ったキャラクターがいて、色々調べてたら「闇が深い」と言われていて、はあ? と思った。闇が深い? そんな一言で全部言い切ろうとするなよバカ、と思ったのだ。それですべて説明できるなど思ってはいないと思うが、私自身そうやって平易な言い切りをすることはあり、結果的にはブーメランとして返ってきた。痛い。

闇深いってなんなのだろうな。人間誰しもそんなものはあるだろうと思うし、時々創作の世界でぶつかる「あまりに煮詰められた闇の深さ」に辟易することもある。人間、そんなにわかりやすい生き物ではない。

 

雨だ。それも傘を差しても濡れるような雨。

雨は嫌いではないと思う。正確には、嫌いになると損したように思えるので嫌いにならないという選択をしている、が正しい。雨の煩わしさを感じていないわけではない。

それでも、間断なく降り続く雨というのは風情があると思う。世界が内向きになる。閉じられる。静かで、それでいて落ち着かない。晴れの日よりよほど、風情がある(ように思えるのはしっかりと雨が降るのが久々だからだろう)。

こういう雨の日は何もせずとりあえず外に出て歩き回りたいものだが、あいにくそういうわけにもいかない。

 

プールで泳ぎたい

某所を散歩中、偶然プールと遭遇する。夏の屋外プール。格子の隙間から覗いてみると、ゆったりと水を湛えたプール。コースロープが張られているのが見えた。泳いでいる人は見られない。それなら私が思いっきり泳ぐのに!

 

願い

具体的な記載は割愛するけれど、不快な出来事があった。皮膚を通して体内に侵入されたような、あるいは、両の足で踏ん張る地面がぐずぐずと崩れていくような恐怖を感じた。怖い。怖い、が、どうして怖いのだろう、と思った。

他人に期待したって仕方がないのに、他人を変えようと思ったって仕方がないのに、私は他人が変わってほしいと願い、変わらないでほしいとも願っている。懸命に。変わらないままなんてこと、できる? ありえない。私の周りの物事が白から黒になったとしても(その逆も然り)悲しいだけなのだろう。その悲しさに自分が耐えられるのか、いまいち自信がなく、海辺の町でひとりひっそりと暮らしたいと思ってしまう。