瀞。川の水が深くて、流れのほとんどない所(『新明解国語辞典』より)。

 自己分析をするなら、私は到底「瀞」のような人間ではないけれど、瀞とか湖に惹かれ憧れる人間ではある。実態は、悲しいことに急峻な山間を流れる荒々しい川でもなければ、瀞でもなく、住宅街の隅でとろとろと流れる小川である。理想と現実はかけ離れている。

 

 

 今読んでいる『明治開花安吾捕物帖』はテンプレートがしっかりしている。安吾自身が「読者への口上」でそれを書いている。事件があって、海舟が見当違いの推理をして、新十郎が解決する。海舟は安楽椅子探偵のようなものだから推理の素材を虎之介に一任しており、それがそもそもの間違いではないかと思うのだがそれはさておき、海舟は推理の際に習慣なのか「悪血をとる」。「自分で指や頭のあたりを斬って、悪血をとるのである」だ。

 その効果は如何に。私にはわからない。が、ふらふらと緑の中を歩いているのは「悪血をとる」ことに似ている、そんなことを考えていたのだった。

 

 今回の旅の目標はずばり「死なないこと」であった。とにかく暑い。予報では35度を越えていたと思う。不要不急の外出は控えられよ、というのはごもっともな暑さ。なので、水が尽きたら帰る、水をとにかく飲む、飴を舐める、日陰を歩く、発汗しなくなったら(この時点で手遅れ感はあるが)即座に涼しいところに駆け込む、疲れたら帰る、を決めごととして川沿いを散策する。

 

 出かけると毎度悔しいのが、行きたいところが倍々で増えるところだ。宝登山にも行きたいと思っていたし、今回は川下りをするつもりがなかったけれど、いざ現物を見てみると、なるほど、一度はやってみたい。出かけると行きたいところ、やりたいことが増える。

 

 

 コンクリートジャングルと言われるぐらいだ、人がいて建物があって、二酸化炭素を、温風を、大気に放出しているんだ、だから都会は暑いのだろう? と思って、自然豊かなところに行けば多少はましになるかと思っていたけれど、そんなことはなかった(事前に現地の気温も見ていたので「都会と気温はあんまり変わらない」ことは知識をして知っていたものの、体験してみると同じように暑かった)。気温35度の日差しは日陰がないとかなり厳しい。貴重な岩畳がまったくもってありがたくない。が、やはり楽しい。足元は岩場で変則的で踏み外さないよう注意が必要、加えて自分の体調も意識的に気を配らないと死ぬ、そう、「悪血をとる」というのは、私の場合、何かに傾注することなのだ。そして多分もっとも心が持ってかれるのはお出かけのときなんだ(好きなゲーム、好きなアニメ、小説、漫画、映画などなどでも効果はあるが、弱い)。

 

 人もいなければ車もいない。嬉々としてこの場所までやってきてるわけで後悔はしないが、頼れるのは自分だけ。熱中症で倒れたらそれは死を意味すると強く思った。ウォーターボトルに詰め込んだお茶があっというまになくなる。感覚としては1分ごとに口をつけて水を補給している。結局、自前で持ってきた水500mlと詰め替え用に500mlとミネラル補給に900mlのアクエリアスでも足りず500mlの水を現地で買っていて、つまり2.5lの水を飲んでいる? そんなものか。

 

 

 そして歩いていると、目の前に、救世主「自然の博物館」が現れた。入館料200円という破格に加え冷房がガンガンに効いててなぜか人も少ない。展示も面白くて、やはり地理地学は勉強しないとならんなあ…と思わされた。鉱石はいい。

 博物館の企画展で標本が展示されていた。蝶、鳥、クワガタ、コウモリ、ネズミなどなど。細いピンで適宜留められた彼ら彼女らは疾うに息をしておらず、外部環境が大幅に変化しない限り肉体の消滅までのカウントダウンは緩やかである。動いていること、則ち生きていることの美しさ、それに動いていないとそれは彼ら彼女らじゃないという感覚が自分にはあるのだけれど、止まっているのもまた生きているのとでは得られない静謐さのようなものがあって、しばらく魅入ってしまった。なるほど、私は日常を標本化したい。ただ、その為の技能であったり、手法についてはまだまだ開拓の余地がある。全然ある。例えば、力を入れて書いた文章より適当なメモ書きの方が後で読み返すとずっと面白いなんてことはざらだ。

 標本と関連して、どこかで読み直せたらいいなと思って今使っている世代の日記帳も持ってきていたのだけれど、やっぱりコンテンツとして面白い日と面白くない日があって、できることなら毎日面白い記載をしたいと思った。これは今回ならではの発見。

 

 夏だねえ。嫌になるけども夏である。

 写真を撮るときは人があまり映らないように意識しているのだけれど、人がいないのだから当然写真にも人が映っていない。人がいないっていいなと思う。いいなと思うことがいいことなのかはわからない。

 

 シロツメクサを食む羊をみつける。私より君たちの方がずっと暑い。上には上がいると思って暑さが楽になるかなと思ったら全然そんなことはなかった。私の暑さは私のもの。羊の暑さは羊のもの。

 

 花びらがかさかさとしつつある紫陽花。

 

 終点駅のその先にあるレール。

 

 橋から見下ろす川(この橋、欄干がいい塩梅に古びてて、人が凭れても壊れることはなさそうな手ごたえはあるものの、やはりどうも不安になる佇まいで、この写真を撮るのはめちゃめちゃ怖かった。自分が川に落ちるのがありありと想像できて、VR川落下していた)。

 

 苔。

 

 午後三時にして気温35度。

 

 今後の課題としては、なるべく日常から瀞でいること、また日常の瀞を書くこと、だろうか。

 

 水をとにかく飲み、飴をとにかく舐め、睡眠栄養を補給したおかげで、翌日も熱中症らしき症状は出ていない。これに気を良くしてこれ以上の無茶をすることのないように。同じくらいの気温でもせめて日陰がたっぷりある場所じゃないと駄目だ。