「あんたおばさんになるのよ」
そう言われて5秒くらいしてから理解が追いついた。ふうん。そう。まあ、予想できたことだし驚かないのだけれど。
だから私は、
「おばさんじゃなくて「はるのさん」って呼ばせるから」
とだけ言って、シンクに溜まっていた使いかけのグラスを洗い始める。洗い物は好きだ。食器洗いも洗濯も風呂掃除も。水はいい。だって洗い流せるから。水に流そう。どんどん流してしまえ。都合が悪いことも。嫌なことも。うまくいかないことも。全部、全部。
ここまで生きてきて自分が子どもを授かる未来はこれっぽっちも想像できなかった。そもそも自分が生きる未来すら想像できていないわけで、況や子どもをや、である。
親に対する負い目はなかった。どう生きようが私の人生だし、結婚すること、子どもを持つことが人生の目的ではないのだと、早々に理解していたのだから。そこは学生のころから本当に揺らがなかった。私の生き方に助言こそすれコントロールしようものならそれは私ではなく親が悪いのだと思ってここまで生きてきた。
それはそうなのだけど、でも。
私の両の手は皿を洗いながら、頭は別のことを考えている。今、私の体をじんわりとめぐっているのは、たぶん「安堵」だ。ああ、これで私はまた楽になれる。また一つ肩の荷が下りる。プレッシャーではなかったはずなのに、やはりどこかで負担に思っていたのだろうか?(なぜ私がそんなことを思わないといけないのだろうね。)まあ、本当に微々たるプレッシャーだけれども。
そして微々たるものでもどうやら負担に思っていたらしい自分に幻滅する。私はもっと強かったはずでは。毅然とした態度で生きてきたのでは。誰がなんて言おうと知ったこっちゃないと思って生きてきたのでは。実際は強くなかったというわけですね。嫌になっちゃうなあ。だので内を蠢く様々な感情を整理するので今日は忙しい。ただでさえ色々なことがあった一日だったというのに。処理できる量を完全に超えている。
そうして二人を見送り、私は一人になる。そして終ぞ「おめでとう」という言葉をかけなかったことに気づく。でも言えないのだよな。だって「おめでとう」って思えないもの(それがめでたいことであるのはわかるのだが)、嘘を言いたくないの、私。