アイスコーヒー

 学生時代はノートとペンケースを鞄に放り込んでカフェやら喫茶店やらへよく行ったものだ。時には講義をすっぽかして。アイスコーヒーを一杯を傍らに、ノートをひらき当時は万年筆は持ってなかったから適当なボールペンを手にもって、とにかく色々なことを書きなぐった。それこそサンドバッグにパンチを打ち込むように。書くことぐらいしか頭の中を渦巻く思考を整理する術を持たなかったから。

 ここ数年、以前ほどカフェにも喫茶店にも足を運んでいない。時勢的なものもあるけれど、別に書くことにおいて場所は問わないことに気づいたからというのもある。カフェに行かずとも自室の机でアイスコーヒーをお供に書けばいい。そうして私は毎日毎日日記やら何やらを書くようになった。学生時代にはひとつの大きなうねり、狂気の奔流だったものを小さく分割して毎日にちりばめた感じだ。狂気も細かくすれば目立たない。

 ただ、とにかくがーっと書きたいときもある。暴力的に。そんな飢餓感に背中を押され、平日の昼間に私はコメダ珈琲に足を運ぶ。アイスコーヒー540円を注文するとあの頃と同じように(そしていつもそうしているように)ノートをひらく。そうして思いついたことから書いていく。他愛もない事柄。書いたそばから忘れていく。忘れるために書くと言ってもいいのかもしれない。

 アイスコーヒーは金属のカップに注がれており、四角形の氷は溶けることがない。真っ黒な液体がそこにあり、真っ白なミルクを注ぐ瞬間がとても好きだ。コーヒーの表面に薄い白の膜が張られる。ずっとそのままでいいとすら思う秩序だが、次の瞬間私はストローでがしゃがしゃかき混ぜる。そうして黒と白が混ざり茶色っぽい液体になる。アイスコーヒーはエンタメ性がある。

 そんな風にして私はとにかく書くけれど、「ジャブ」は1時間ぐらいが限度だ。今日もそれぐらいで体がそわそわしてしまう。じっとすることが苦手な性質。

 残ったコーヒーを呷ると、手早く片付け会計をして店内を後にする。動いていた方が気が紛れる。できることなら、歩いているときに考えていることをそのままテキスト化してほしいな。

 久々にコーヒーを飲んだ実感があった。飲みたいときに飲むコーヒーは惰性で飲むコーヒーよりずっと美味い。