「オタク」と鴨

私は無表情でスマホを眺めながら、何かを一途に好きになりたいと考えている。

どうも自分には「信じる心」が足りないように思うのだ。好きになることと信じることは分かちがたい。何か特定のものをものすごく好きになれたなら、それはとても幸せなことだと思うのに。寄る辺のない心は大概不安定で、時々猛烈に何かを強く好きになりたいという化け物が暴れる。でもおそらく、私はそういう機能がぶっ壊れているというか(そういう機能とはつまり、何かをめちゃめちゃ好きになること、信じて疑わないこと、追いかけ続けたいと思うこと、心を託すこと)寄る辺のなさみたいなものを自分のアイデンティティにしているところがあるから、何かに夢中になればそれは私でなくなる!と無意識で思っているのかもしれない。どうだろうね。

私は「オタク」ではなかった。

何かであるということは、ある種安定しているということだと思う。

 

力が欲しくて「信じる力をください」でGoogle検索をかけたら、aikoの「桜の時」がヒットした。まあ、そういう信じるの話なんだけど、それがないって話なんだよな。

私なら喪失感でも不安でもなく、欠如感を歌うことになるのだろう。

 

電車で川を渡る。車窓からちらりと見えた川面におそらく鴨だろう、一匹ぷかぷかと浮かんでいた。文字通りのぷかぷか具合だった。

まあ、信じる心がなくてもいいか、と思った。