ハッピーエンド

 今読んでいる作品にこんな台詞があった。

「この世は泥よ あなたもわかっているように」

 この世は泥、か。そう思ったことはなかったけれど、いいな、この台詞。声に出さずに口ずさむ。この世は泥よ、あなたもわかっているように。

 

 メモ代わりのノート。2022年4月8日の記述は文字が擦れている。万年筆のインクの出が悪く、いくら書いても文字は擦れ、私はそれにひどく苛立っていた。その後インクを替えることで文字の擦れは解消された。今は問題なく書くことができている。

 あの文字の擦れは1か月前のことか。それは私をとても驚かせた。もっと前のことであるような気がするし、1か月前のこととは思えない。この1か月、何をしていたのか思い出せないけれど、でも何かはしていて、その何かが文字の擦れと今の私とのつながりを断絶している。好ましいことだ。「1か月あっという間に過ぎてしまいました」というのは、私が忌むことの内のひとつだから。

 時間に隷属したくなかった。明日が早く来ればいいのに、と思いたくなかった。

 

 一方で私はハッピーエンドという概念がよくわからないことに思い至る。今、幸せになることはできないのだろうか。幸せって目標なんですか。目標を達成したらその次の目標は何ですか、幸せを維持することですか。それって疲れませんか。誰だよ、幸せとかふざけた概念を持ってきた奴、と嘯く私、梅酒に浮かんだ氷がカラカラ鳴っている。酔ってはいないはずだけれど、信ぴょう性に欠けることは否定しない。