フライドポテトウォーク

 時刻は10時を過ぎたあたり。目の前の一本道は果てがなく終わりが見えないが、早くも私は空腹でふらふらである(朝食はちゃんと食べている)。折よく駅前に差し掛かったところだったので、コンビニで軽食でも買って腹を満たすか、と思ったのだが、オリジン弁当の旗が目に入る。フライドポテトが150円だか180円だか。その日の昼食も確保したい、ここはひとつ、弁当と一緒にフライドポテトでも買うかと自動ドアをくぐる。

 弁当もフライドポテトも出来合いのものではなく詰めて揚げてとしているのだろう、しばらく待つ。店内に客は私一人。とにかくぼーっとしていた。何も考えていなかった。

 Dxのり弁当と熱々のフライドポテトが入ったビニール袋を提げ(袋代に1円持ってかれた。1円でいいのか? と思った)日差しが強く降り注ぐ光の世界に出る。風は乾いているし冷たさを帯びているが、日の光が強い。

 一本道に戻るとフライドポテトをつまみながら歩き始める。これがもう驚くほどに美味しくて感動してしまった。感動しているからこうして文章を書いているのだけど、本当に美味しかった。何の変哲もないフライドポテトなのだけど、腹が減っているのとピクニック気分で食べているのとがスパイスとして働き、もう魔法がかかったように美味しい。それに出来立てであるのも重要だね、熱々って美味しいものだな、と感心してしまう。からりと揚がった肉厚のポテトは口の中でほろっと溶ける。表面に振ってある塩もいい塩梅で指についた塩をぺろりと舐めたりして楽しい。

 私はこんな風に時と場所を見計らいながら食べ歩きというものをしてしまいがちで、その是非はともかく、もう止まってフライドポテト食べるなんてつまらなくない? と思うぐらい、ポテトをつまみながら歩くのは美味しいし楽しい。それが今回の収穫のひとつだと思う。歩くという行為は楽しい反面退屈でもある。ポテトが旅のお供としてついてくれるのは私としても心強かった。

 しかし、ポテトも無限ではない。フライドポテトというのはいつかはなくなってしまうもので、自然の摂理、すべて胃の中に収まってしまうと、世界は途端に静かになった。束の間の喧騒は静寂を取り戻し(本当にポテトを食べている間は無敵スターをとったような喧しさだったのだ。別に私は一言も喋っていないし、叫んだりもしていないのだが)私は孤独と対峙することを余儀なくされる。名残惜しいがポテトというのはそういうものだ。歩いている最中無限にずっと食べられるフライドポテトがあるとして、私はきっとそんなフライドポテトは食べないだろう。人生、そういうもの。