緑道

 上水沿いの緑道を延々と歩くことにした。

スタート地点付近

 歩く。

車道と分離しているのが良き

 

 歩く。

抜かされた

 なおも歩く。

飽きてきた

 

 そして歩く。

空腹でへろへろ

衝動

 歩きたいと暴力的に思うことがある。とにかくとことん気が済むまで歩きたい。うんざりするぐらいに歩きたい。歩いて、歩いて、歩いて、もう歩きたくないと思うぐらいまで歩きたい。その欲望の根っこにあるのは、「極限まで疲れたい」ということと「間断なく思考を続けたい」というところだと思う。後者については、恩田陸夜のピクニック』をご参照。

 

緑道

 その緑道は上水沿いにのびている。舗装されているわけでもないので、やたらめったら躓く。それはもう、木の根やちょっとした段差に躓き、そのたびに私は心の中で舌打ちをする。こんなに躓いているのは私だけかもしれない。爪先が痛い。山道でもなく、街路でもないので、中途半端な位置にあるのだろう。私の中の危機意識レベルは低いが、実際は山道のようにごつごつでこぼこしていたりする。で、躓く。

 緑道はおんなじような景色が続く。退屈に感じる。でも、悪くない退屈だと思う。良い退屈と良くない退屈の違いは何だろうと考えながら歩いていたが、答えは出なかった。

 途中途中、好きな音楽を聴きながら歩く。適切なタイミングで適切な音楽を聴くことの幸福感たるや。ふははははと笑ってしまうくらい、楽しい。

 疲れてくると何も感じなくなり、精神が空気に溶けていく。自分が誰であるとかどうでもよくなるし、肉体というのは所詮ただの容れ物なのだという気分になってくる。そういや先日、とある企画展の事前申し込みをした際のアンケートで「自分で死にゆく瞬間を決められるとしたら、どんな場所で、どんな状況が良いですか?」という問いがあったので、「ありえないと思うけど」と前置きしたうえで「豊かな森の中の大木の根元に腰掛けた状態で死にたい」と答えた(なお、この文章は遺言ではない)。でも「そうあったらいいな」という程度のもので、是が非でも、という切迫感はない。精神が葉擦れの音に紛れるこの感じ、生と死の境界はこんな風に曖昧なものであればいいけれど…どうなんだろうな、よくわからないな、とにかく私は歩き疲れた、と思いながら足を止めることは無い。

 

牛めし

 おろしポン酢牛めし(並)をテイクアウトして、広々とした公園で昼食休憩とする。かなり広い公園で休日ということもあり人々でごった返している。バーベキューに興じる人、芝生でテントを張ってのんびりしている人、アスレチックで遊ぶ子どもたち、レンタサイクルで園内を周回している人、とにかく人がたくさんだ。

 空いているベンチに腰掛け、一人で芝生をぼーっと見ながら牛めしを食べる。おろしポン酢にして正解だったな、疲れたときの酸味は体に沁みる、と、この旅の成功をまたもや確信する。外で何かを食べることが好きだ。多分、食べることの重要度が相対的に下がるからだろう。外で食べるだけで、簡単に「外で」と「食べる」で半々くらいの比率になる。これが家の中だと、「食べる」の比率をがくっと落とすことになったり、逆に「食べる」が重々しいくらいに空気を占めていたりする。外で食べるぐらいが私にとってちょうどいい「食べる」なのだろう。

 

撤退

 当初「ここまで歩く」というゴール地点をなんとなく決めていたが、だいぶ歩いたと思ったところで、さらに3時間くらい歩かなければたどり着けないことがわかった。ひとえにリサーチ不足なのだけど(それでも市街地を歩いているのでリカバリはきく)さて、どうしたものか、自分の残りの体力を確認しながら考える。

 正直時間には余裕があるし、多分これを逃すと歩く機会はないし、せっかくここまで歩いたのだし、自分が決めたルートを完歩したい、「私は歩いたのだぞ!」と宣言したい、そんな気持ちはあったのだけれど、無理は良くないよなあ…と考え直し、途中で切り上げることにした。人は学習する生き物であった方がいい。途中で切り上げると決めたら、一気に気が楽になり、冷たい空気が肺に入ってきた。日差しは強いが空気は思いの外ひんやりとしている。ゴールを意識するあまり、からだが強張っていたようだ。なんだ、全然楽しめてなかったじゃん、私。反省。もちろんシリアスな挑戦はそれはそれである種の楽しさを含んでいるが、リラックスした状態でのんびり楽しむのも別の在り方だ。計画を変更したので、歩ける緑道は残りわずかだけれど、ここから改めてまた楽しみ直そう。そうして私は撤退した。引き際が肝要、というのは、歴史も語っている。

 

ポストカード

 新たな試みとして「出かけ先でポストカードを書いて自分宛てに投函する」というのを始めたので、駅のベンチに座ってマッキーでポストカードに自分の名前と住所を書いてポストに投函した。マッキーと、切手と、ポストカード。これらを100均で買ったポリケースに入れてポストカードセットの完成。これからはポストカードを集めるという新しい趣味(というか習慣)も加わる。ポストカードって一体何のためにあるのだろうとずっと思っていた。美術館のスーベニアショップなんかで気に入った絵画のカードを買うことはよくあったけれど、どう扱えばいいかいつも困っていた。飾る為? それもひとつだろう。ただ用途があるなら使いたい性分。

 

 郵便局のポストに投函して駅に戻りがてらコンビニでICEBOXを買って、ざくざく食べて、駅のホームのベンチに座ってなおもざくざく食べて、電車を一本見送った。で、帰路につく。楽しかった。