キャンドル

 アロマキャンドルを買った。それってどういう風の吹き回しよ? アロマとか苦手だったじゃん私。

 確かに私はアロマは苦手かもしれない。リラックス効果をもたらす何かというものはわかっているが、それ以上に取り扱いに気を配らなければならない「薬品」という意識。アロマキャンドルを買ったのも、前ではなく後ろの言葉に用があるわけで、「火」というのがいいかもしれないとふと思ったからである。

 恩田陸の『きのうの世界』では焚火が趣味の高校生が出てくる。なるほど焚火ね。私の生活においてはそれを趣味にするのは現実的ではないが、焚火が趣味とはいい感じだ、と読書中に思ったことを思い出したのだった。

 ということでキャンドルを。机に向かい座っているときだけ火をつけること。席を立つときは消すこと。火の用心。絶対ひっくり返さないこと。それを心に留めた上でいざ点けてみるかと思ったところライターを持っていないことに気づいた。私は煙草を吸わない。キャンプもしない。仕方なく点灯式はお預けとなり、別の用でスーパーに立ち寄った際にレジ横のライターを手に取り五百円玉を出して払った。お釣りは四百円以上返ってきた。

 さて、恐る恐るキャンドルの芯に火をつけると、小さな小さな火が灯った。デスクライトを消してみる。思ったより火というのはあかるいものであるらしい。ゆらゆらと揺れる火を数分間眺める。「火に魅せられる」みたいな感覚もあるらしい、確かに魔が宿りそうな感じする。付け入る隙を与えない程度に、ダウナーにならない間に切り上げることにしてふっと息を吹きかけて消した。瞬間、室内が真っ暗になった。ある種のカタルシスが鼻腔をくすぐる匂いと溶けてからだじゅうをめぐった。ふむ。火を消すこと、か。

 米津玄師の『死神』のミュージックビデオを思いだしたのでぼんやりとした頭で視聴する。うむ、火を消すイメージはここにあるみたいだった。落語の演目のひとつ『死神』も併せて聴いてみる。あらまあ、落語、面白いぞ。童話の読み聞かせ、怪談、ラジオ、話術。たちまちその世界に引き込まれる。私が聞いたのは、いわゆる「助かったけど助からなかった」パターンで、終演、太鼓の音がタランタランと鳴り観客が拍手する音に合わせて私も思わず拍手してしまった。落語面白いかもなあ。蠟燭の灯り一つひとつが人間の寿命という世界の秘密の話。とはいえ、私は今日もアロマキャンドルを点けるけど。そして思いっきり息を吹きかけて消すけど。でも『死神』前後で恐れの感情がついてくるのが違うところかなと思った。少しだけ、怖い。