ガリガリくん九州みかん味

二日連続で鶏皮案件とは。そこで思う、普段めちゃめちゃ機嫌良く生きているのだなということに。

こういうときは物事うまくいかないもので、やたらと信号に引っかかる気がするし、同僚の喋り方に腹が立つし(同族嫌悪的なもの)二車線の道路を信号がないところで堂々と横断するランナーがいるし、そもそも些細なことで苛立つ私自身に苛立ってそのことに動揺する。

ということで私はコンビニに駆け込む。千葉雅也『アメリカ紀行』では、日本におけるコンビニはリセットの場なのだと、浄められた場所なのだと、コンビニさえあれば生活を新たに始められるのだと、そんなことが書かれていた気がするが、私もその効用にあやかりたい。澱んだ気持ちを浄めるのだ。

何かを選ぶということ。傾注。私は何が食べたいのか(無論コンビニで買うのは食べ物だ)内なる声に耳すませる。そうして私は濁った気持ちを外に追い出す。おにぎりにしようか。食べたことのないサンドイッチにしようか。コンビニスイーツ。好きなお菓子のじゃがりこ。迷って迷って、そうだ、熱いからアイスにしようと決める。さっぱりした味を何か。そうして私はケースの中で冷やされたガリガリくんの九州みかん味を手に取った。

夜道。アイスをガリガリと食べながら歩く女がいる(なかなか奇怪な光景かもしれない。まあ、人もいないしいいでしょう)。一口奥歯でガリっと削るたびに、口の中でシャーベットが溶けていく。どす黒い感情も同じように溶けて食道へ流れ込めばいいと私は願う。ひたすらアイスを食べていく。少し元気になり、この文章を書く頃にはだいぶ落ち着いた。おにぎりも食べたかったな、なんてことを考えている。