ジョグ vol.7

 今日も今日とて走る。履きなれた蛍光ピンクのシューズに足を入れ外に出ると案外寒くて体に震えが走った。こんなはずではなかった。とはいえ、10分も走れば寒さなどどこ吹く風になることを経験上知っている。走り始める。

 夜は何にも見えないなあと思う。当たり前だが街灯がついているとはいえ辺りは暗く景色は闇に溶け出して見えないものだし、人通りも日中に比べれば少ない。結果として昼間に走るより見えるものが少ない。見るものが少ないということは、情報量が少ないということで、情報量が少ないということは視覚的な情報を処理する必要がないということで、その分他のことにリソースを割くことができるのかもしれない、なんてことを考えながら、とはいえ、走りながら考え事が捗るとかそういうことは無いよなあと先ほどの考えを改める。走ること、それは空(くう)を見るようなものだ。たぶん。

 なんだかんだ走ってきた中で編み出した、走ることに対する心構え。

  1. がんばらない(走りたくなければ走らない)
  2. がんばらない(数値にこだわらない)
  3. がんばらない(のろのろ走る)

 頻度としては、週に1回走れればいいなー、週2回だとちょっと頑張っているなー、という程度である。

 走ることは大したことではないんだぜ、少なくとも私にとっては。

 「時々走ることもあります」というわかりやすい紹介には、この辺のニュアンスは含まれない。「趣味:ジョギング」という言葉からばっさりと切り捨てられるものにこそ愛着がありこだわりがあり哲学があり頑なさがあるというのにね。まあ、「趣味:ジョギング」と言うことはないけど…。

 走ることに限らずあらゆる物事において同様のことが言えて、いわゆるカテゴライズの功罪のひとつだろうというのは今までさんざん考えてきたけれど、じゃあ、除かれたものをいかに汲み取るかって話はあんまり進まないよなあ…なんて思ったりした。それこそ小説なんかが得意な領域だと思うけどね。

 

 いくつか好きな道と嫌いな道があって、その道は好きだけど雨が降る日は嫌いで、なぜなら雨天時は異常に水が溜まるからで、雨の日は絶対その道は通らない。

 一昨日の晩はかなり雨が降ったようだった。雨でぬかるんだ地面を何台もの自転車が通ってデコボコが生まれていた。喩えが微妙だけれど、千切りきゃべつのように溝がたくさんたくさん生まれていて、昨日今日の陽気で土が固まりそりゃあひどい有様だった。ジョグからの帰りがけに私はうきうきしながらその道を通った。デコボコを踏んで踏んで踏み均すのが好きなのだ。土がサクッと平らかになっていく感じはちょっと柔らかめのクッキーを思い起こさせた。ああ、クッキーが食べたいな。

 こんなたっぷりな気持ちになってしまったら、またしばらくは走りたくない。そんなことを考えながら帰った。走った後のスポドリは美味い。