並列の日常

行った場所リスト

 ここ数年で自分が訪れた場所を手書きのリストにしてみたのだった。ひとつも忘れることは無い、印象深い思い出。

 

教科書

 世界史と地理を勉強し直そうと思った。現代のニュースを理解するには歴史を学ばねばならない。高校の時にどの会社の教科書を使っていたっけ? 思いだしてみるけれど、地理の教科書が出てこない。帝国書院だったかな。たぶん、明日本屋さんに行って買うだろう。

 

疲労

 最近疲れている気がする。よく眠れる。本を読めていない。ノートもあんまり書いていない。でも、そう考えると疲れていないときなんて無い気もする。

 

言葉が出ない

 いつの間にか眠ってしまった。昨日のことを書こうと思っていたのに書けなかった。記憶は儚くも溶けていく。

 起きるとウクライナチェルノブイリがロシア軍に制圧されたとかなんとか。「ばかっ」と思った。これは何も知らない東洋の島国に住むひとりの人間の率直な感想である。

 

 私は和歌というものにあかるくない。和歌のやりとりは、なんというか衒学的な感じ。いかに気の利いたことを巧みに言い表すか、という部分が苦手なのかもしれない。でも、歌で気持ちをやりとりしようとすること、歌に自分の気持ちを託す心の動きは頷けるものがある。

 音楽がサブスクライブされる時代、音楽に自分の気持ちを託しやすくなった。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『ひかり』は今のムードにぴったりだろう。

 おそらく創造というのは、混沌から生まれるもので。今この状況下で、言葉を出すことが苦しい。残さないと、残さないと消えてしまうというのに、私は何も話せないということが苦しい。様々な、形のない何かが喉元まで上がってきた言葉を堰き止めている。既存の作品は、そんなフラストレーションを幾ばくか解消してくれる。ああ、こういうことが言いたかったんだとか、似ている気持ちだとか。

 

 争いについて口が重たくなるのは「私は十全に知らない」という考えがあるから。私は何も知らない。現地に生きているわけではない。歴史も知らない。言葉も知らない。そんな自分が何を語れるのだろう。何がわかるのだろう。どうしてもそう思ってしまう。だから、今この場所に生きる一人の人間として語ることしか語れない。窮屈だと感じる。イライラする。

 

風来のシレン

 そういえば、DS版の風来のシレンがあったなと思って、遊び始める。めっちゃ面白い。風来のシレンは哲学だと感動すらしている。一歩のミスが致命的になりうる。回復を怠ると痛い目を見る。おにぎりは大切。己のちからと武器の強さも大事。想像豊かに杖を使いたい。諦めも肝要。人生は風来のシレンなんだと思うと、少しは元気になるかもしれない。あと、これは声を大にして言いたいのだけど、モンスターにやられてアイテムもレベルもリセットされて飛ばされたスタート地点、渓谷の宿場の酒場のおじさんが、いつもいつも大きなおにぎりをくれる。何度やられても、おじさんはおにぎりをくれる。困った人におにぎりを差しだせる人はすごい人だと思う。私もそういう人になれるだろうか、と思った。あと、テーブルマウンテンは制覇できそうにない。