誰も知らない

 最果タヒ『天国と、とてつもない暇』を読んでいる。本編はろくに読まず(これから読む)あとがきを読む。

 あなたが、どんなふうに生きているのか知ることはできない。

 私も、どんなふうに生きているのか教えたくはない。

最果タヒ『天国と、とてつもない暇』)

 いいなあ、と思う。特に「私も、どんなふうに生きているのか教えたくはない」というのが。教えたくない、か。

 私のこの場所は、教えるためのものではない。風を通す場所、標本箱ではあるけれど、お披露目の場所ではないと感じる。

 誰も私のことを知らない。私が書いていることを知らないし、書いているものも知らない。それは私にとってわずかばかりの「復讐心」で、元々紙のノートも復讐みたいな感情から(もちろんそれ以外にも理由はあったけれど)始めたものだったことを思い出す。

 他人にも私と同じような感情という機構がある、そのことに混乱したときがあった。

 「では、一体わたしはどうしろと?」と思った。

 今は割り切ることができているけれど(結局私が何をしても他人は私に対して何らかの判断を下すし、それらすべてを私の制御下に置くことはできない)基本的には社会不安みたいなものがある。行き過ぎていないだけで。

 あなたにも私の知らないことがあり、それは尊重されるべきことであり、私は知りたいとも思わないが、何かについて一緒に語り合うことはできるだろう。そういうこと。

 

 そういえばきゃべつが安いらしい。きゃべつが安いなら餃子を作ることができる。真面目に私は、自分で作る餃子が世界で三番目くらいに美味しい餃子だと思っている(皮はスーパーに売っているやつ)。