夜明け

 夜、私は歩いていた。歩くのは好きだ。

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 人がいない。世界に自分ひとりだけなのかもしれないという馬鹿みたいな妄想を、時々やってきては過ぎ去っていくタクシーが搔き消す。

 

 当たり前なのだけど、夜は暗いものでいろいろなものが闇に飲み込まれていて、カメラを構えてもよくわからない。仕方ないので人工の光を撮っていく。

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 人がいない(二度目)。夜明けを見る機会はあまりないので、せっかくなので海へ向かうことにする。

 

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 早朝から活動的な人はいるもので、その多くは修行者の様相である。

 

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 遠く見えるは夢の国。左から、城、山?、山。スペースなマウンテンのマウンテンは山なのかしら。何が山なのか、実はよくわかっていない私。ちなみに、ビックサンダー・マウンテン、スペース・マウンテン、スプラッシュ・マウンテンならスペース・マウンテンが一番苦手である。

 ディズニーランド。今行けばまた違った角度で楽しめること間違いないが、そのチケットと同額のお金を使ってどこまで行けるだろう? 何を食べられるだろう? 何ができるだろう? とついつい考えこんでしまう。私はよく「本」を基準に考えるのだけれど(このお金でどんな本を買えるだろう?)その問いは一見意味があるようで的外れな気もしてならない。値段をつけるというのは難しいことで、5000円の読書体験と5000円使って遠い場所に行くことはまったくもってイコールになりえない。「5000円」という値段による価値づけは思っているほど有効ではないのだと思う。

 話が逸れた。夢の国。人が集中してしまっているというのもあるし、ユニーク過ぎるから他のアミューズメントパークで代用することもできない。が、基本的には行ってみたい場所でいつかはポップコーンバケットをきちんと買いたい。その「いつか」は来ないかもしれない。まあ、絶対に!という強い気持ちではないから、来なくてもいいやと思っている。

 同じ場所に留まるというのは面白いもので、特に夜明けと日暮れではその場所の印象が刻々と変わっていく。日が沈む時間帯に居合わせることは比較的容易だが、明け方は少し難しい。ただ、これからの季節は日の出が遅くなる分、少し早起きすれば日の出を見ることもできるかもしれない。メモしておこう。「夜明けを味わうこと!」

 

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 DREAMS COME TRUEの『朝がまた来る』を聴きながら歩く。連想ゲームにタイトルが引っかかっただけの選曲で(朝が来ようとしているタイミングで聴くにはぴったりのタイトルではないか)しかし、聊か明るすぎる。そしてDREAMS COME TRUEというアーティスト名は十分考え事の種になる要素がある。夢が叶う、か。それにあっけらかんと歌っているから気に留めてなかったけれど、これは別離の後の曲なのか。まあ、タイトルからしてそうか。昔聴いていた曲を聴き直し、感じたことを手掛かりに自分の中で再構築するのはいつも楽しい。amazarashiの『自虐家のアリー』に切り替える。こちらは海ソングとして(海ソングとして聴く人はそれほど多くないかもしれない)。

 朝食を食べてないのでエネルギー切れになった。公園を後にするとふらふらになりながら電車に乗って、輝きを放つ朝日を浴びながら家路につく。一日は始まったばかりだが、もうすでに終わった感じがしてしまった。夜明けとはそういうボリューミーなところがある。

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