健康

 視力が下降の一途をたどっている。ひとえに自分の不摂生のせいだけれど、視力だけでなく、先の健康診断では2項目引っかかってしまい「どうしたものかな」となっている。元気いっぱいだけれど数値的には微妙という状況は、病院を受診するのも躊躇う。健康保険料を払っているのだから病院に行け、と言われる。確かになと思う。そういう風にして自分を持っていかないと、おそらく私は一生病院へ行かないだろう。

 そもそも健康ってなんだっけ?というようなことを考える。私ってなんで生きているんだっけ(理由はありません)。健康である為に生きるわけではなく、長生きするために健康である必要があるのだろうか。わからない。まだやりたいことがあるので死ぬつもりはないが、その感覚と「健康であれ」という考えがうまく接続されない。私は今めちゃめちゃ元気なんですけど?気候変動に対して繊細な人もいればそうでない人もいるように、中・長期的な視点が私に欠けているのかもしれない。

 こんな感じで私にはわからないことが多い。ピンと来ていないことが多く、世を知らない、まるでマリオネットのようだ。習慣は人形の手足に括りつけられた糸。「保険料を払っているのだから何かあれば病院に行ったほうがいい」も糸。何もない私は糸によって動かされ、かろうじて社会的な生を得ているなあと思う。最近そのことを思い知らされているので、ちまちまと筋肉トレーニングをしているところだ。例えば政治の仕組みとか。

 加えて話は変わるけれども、怒られること・間違うことに対して忌避してしまいがちなところは直していかねば駄目だろうという気がしている。病院に行くのを躊躇うのは、自分の不摂生を咎められることを避けたい気持ちもあるのだと思う。幸い眼医者には怒られなかったが…(だいぶ近視が進行している自覚はあったので、一言二言言われるのではないかとドキドキしていた)。間違い、無責任、怠惰。それらとどう付き合っていくか、まだまだ自分の中で折り合いがついていない。

 泳ぐのも走るのも筋トレするのも、私にとっては「健康」の為ではなく、精神の問題であった。自分をいかにして維持するか、その為に必要だからそうしている。それを「健康」に回収されてしまうのが気に食わない。

 そんなことを考えていられるのは、まだ私が若くて健康だからだろうか。この先のことを考えるとまったく、嫌になってしまう。