好きなように

 普段文章を書くとき、手が止まることはあまりない。書くことに事欠かない。迷わないし困らない。

 だけど、今はどうだ。何かを書こうとするとき、頭の奥が鈍く痛む。首の裏側が、喉が痛んで苛々してくる。私はタイピングする手を止め、パソコンを脇に押しやり、何か別のことをして気分を紛らわせ、書くことを忘れ眠りにつく。その繰り返しの3日間。

 私なりに自分の状態を冷静に見つめてみようとする。「こんなことを書きたいのではない」という恨み言を呟く私が心のどこかにいるような気がした。文章に対して神経質になっているのかもしれない。自分にとって「良い」文章を書きたいが、書いても書いてもそれが叶わない、そんな苛立ち。書いたところで、書いた傍から零れるものがある。私はそのことに腹を立てる。

 山のようにフルーツを買った。それらは茶色の紙袋に入っていて、みかん、もも、りんご、かき、なしが袋から溢れんばかりに。そして私は紙袋を落としてしまう。ごろごろとフルーツが零れ、私はすべて拾おうとする。しかし、拾っても拾っても拾った傍からフルーツが落ち、私は永遠にそれらを拾い続ける。そんなイメージ。

 書いて苛立つなら、書かなければいい。でも書かないというのは私の主義に反する。そういう苦しみもあるだろう。ああ、頭が痛くなってきた。喉も痛いし。水を一口、口に含む。

 

初期化

 パソコンを初期化した。困りごとといえば、5年にわたり撮りためた写真がほとんど消えることで、しかし、困ったところで起動しないものは起動しないので容赦なく初期化した。初期化という選択肢をクリックするその瞬間、ちょっとわくわくした。慎重なところがあるけども、基本的にはチャレンジが好きな私である。またやり直せるんだ!何を始めようか。そういう気分。

 初期化したので、写真もドキュメントもインストールした諸々のプログラムもすべて消えた。一からダウンロードしなければならない。消えたものは戻らない。また撮らなければならないし、書かなければならない。

 消えるのが惜しければクラウドなり外付けHDDに保存すればいいだけで、それをしなかったのは消えても構わないと思っていたからだ。期待通りに消えた。野焼きの後に、芽吹く種子はあるのだろうか。

 といっても、写真に関してはGoogleフォトにアップしていたものが残っている。ここ2年ほどの記憶については、残った写真たちが補強してくれるだろう。もちろん日記めいたもの書き留めたノートも焼かずに手元にあるので、併せて私の記憶代わりになってくれる。

 

 先の文化の日はお休みだったので、休日おでかけパスを利用して電車に乗った。電車に乗るのが好きだと自覚したのは最近のことである。

 かねてから行きたい場所があったのだけれど、おそらく紅葉を求める人で賑わうだろう、人が多いところは嫌だなと思って、反対側に向かった。つまり、海へ。

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 風が絶えず吹き付けていてそれが良かった。海と川の境界に架かる橋を往復した。橋を渡る。『千と千尋の神隠し』で千尋がハクと初めて対峙するシーンを思い出す。橋は境界線なのであった。橋を渡っていると、ありえない場所にエナジードリンクの缶が置いてあって「これめっちゃ面白いやん!」と思って何枚も写真を撮ったのに、それも初期化の波を受けてどこかに消えてしまった。とても残念(やっぱり初期化に対して恨み節)。欄干から身を乗り出して川を見つめていると「自殺願望者に見えるかしら」なんて想像が働き、しかし、河口の水深は見るからに浅く、おそらくこの場所から落ちたら腰か首の骨を骨折してそういう死に方になる。うーむ、骨折は最期として嫌だなあ、なんて思って、そもそも自殺願望者ではないので私は戻ってきた。そこから「どのように死ぬか」という考えに発展し、自分がどのように死ぬかはいつだって想像つかない、というところに落ち着いた。死ぬ間際までは記録として残すことは可能でしょうが、死ぬ瞬間は誰にもわからない。つまり言葉にされていない。私だけのものになる。今はまだやりたいことがあるので先を続けます。

 

電車に乗ること

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(私が乗っている車両は私以外に男性ひとりだけ。遠くの席。ということでこっそり写真を撮る)

 

 さて私が好きなJRの路線は何でしょう。これはその路線内で撮った写真です。

 電車に乗ることが好き、だと思う。本を読めるから。どこかに行けるから。考え事が進むから(アイデアをよく思いつく)。休日おでかけパス(2720円とかそれぐらいの値段)というものを発見し(別に青春18きっぷの季節を待たなくてもJR東日本の決められた区間なら乗り放題できる!)これからもっと楽しくなりそうです。ええ。四半期に一回くらいの頻度でいいので、これから先行けるところが増えるでしょう。そう、電車の何がいいって、日本の少なくとも関東では、大概の区間は「静か」ということだ。都会に近づけば近づくほど乗客は増え車内の会話は増えるものの、都会から離れれば離れるだけ静寂(もちろん電車が走行するときの音はそこらへんの街中よりうるさいだろう。でも煩わしいものではない)を得ることができる。素晴らしい!と私は感動する。

 

黒インク

 万年筆のインクを付属の緑から黒に替えた。黒!素晴らしい!とこちらにも感動する。私はよく感動するほうだと思う。そのほうが楽しいもの。

 これで万年筆はブルーブラックのと黒インクのとを、固まらないよう適宜使い分けることになる。本当はもっと(もっと?)重厚な万年筆が欲しい。だからそのうち買う。買うっていったら買う。

 万年筆は最初に買ったとき(ラミーサファリ)「大した事ないじゃん」と思って侮っていたが、それは間違いだった。万年筆はすごい。書きやすいしシャーペンやボールペンより疲れない。インクの出方によって同じペンなのに書き味が変わるし(それをストレスだと思う人もいるだろう)文字を書くことがより好きになる。万年筆も電車に乗ることと同じでその魅力を発見することができて良かったと思えることだ。

 

 色々書いた。好きなように書いたら頭の痛みは消えていた。わかっていることではあるけど、結局は好きなように書けばいいじゃん、ということか。