本を読む

 私は家では本を読まない。嘘だ。読まないわけではない、でも、おそらく家の外で読むほうが格段に捗るし、楽しい。あと、実のところ喫茶店とかカフェでもあまり本を読まない。じゃあどこで本を読むかというと、電車の中とか駅のホームとか公園のベンチとか待合室とか、そんな感じだ。

 「家の外」というのが重要で、本というものは家の中では読みにくく感じる。だから私は時々ガスコンロの前にやってきて立ったまま本を読む。これはおそらく確かだけれど、机の上に座って読む本は、「楽しい」から読む本ではなく、ある種義務のような、読まなければいけないから読む、そんな本ばかりだ。

 江國香織恩田陸の小説をそれぞれ80円で手に入れた。80円の本棚に並べられた背表紙を眺めながら、江國香織『東京タワー』を見つけたときは「馬鹿じゃないの」と思った。ほんと馬鹿みたいだと思った。きっと他の人にもそういう本はあるでしょう? 堂々とこの値段で売られているなんて馬鹿げている、と思う本が。

 5冊ほど買い(総額400円)ビニール袋に入れてもらった。気分が良くなったので(といっても最初からそれが目的だった。古本屋は言うなればおまけだ)チョコレートのソフトクリームを買って食べながら公園に向かった。

 既に日没は近く、西日差し込むベンチに私は腰掛け、買ったばかりの本を読み始めた。すうすうと寒い日だった。しばらく読んで、西日が木々の後ろに引っ込んでしまったところで本を閉じると、私は帰ることにした。

 翌日。続きを読もうと私はガスコンロの前にやってきて(烏龍茶を入れた耐熱タンブラーも手が届くところに置いておく)右手で本を支え立ったまま読み始める。

 読みながら本を読む自分を俯瞰する。右手で本を開き、左手は肘の裏側に置いている。ページをめくる時だけ左腕は動き、かさりとページをめくるとまた元のポジションに戻っていく。

 遠くで雨の音が聞こえた。天気予報を見ていなかったから今日の天気がどういうものかも知らなかった。私は本を読むのを中断して窓を開けた。雨音が一気に輪郭を取り戻し、形を与えられていく。尖り、濃くなり、はっきりしていく。

 ぼんやりと遠い遠い雨の音の方が今日は好きだな、ちょっと、煩い。

 そう思って、窓を閉めた。再び雨音は遠ざかった。車の中にいるような、プールの底から水面の裏側を見ているような、繭の中にいるような、そういう曖昧さが戻ってきた。私は読みかけの本に手を伸ばす。今日中にこの本を読み切れたらいいなと思いながら、私は本の世界に没入する。