人間をするのに疲れる朝

 爽やかな朝だった。前日の雨模様が一転、レースカーテン越しでもわかる、今日は良い天気だ。
 タイマーをかけていたのに昨晩は寝落ちしてしまった。気づけば土曜日の朝7時で、寝落ち明けの目覚めは最高で、最悪だ。
 私は朝から好きな音楽を聴いていた。ああ、この曲は私が好きな昔のあの曲に似ているね、そんなことを考えていた。好きな曲。疾走感に溢れ、気持が良い曲。と、唐突にがくっと落ちた。気分が。そして私は思うのだった。人間をするのに疲れた、と。

 人間をすることに疲れた。
 どういう感覚か言語化することは難しい。言ってみれば、私が私を維持することが辛いということで、人間として生活をすることは異常なほどエネルギーを消費することだと思うこと。歯を磨いて顔を洗って洋服を選んで朝食を食べて明日明後日明々後日の私の為に何をするのか考えなければならないということが、億劫だということ。私は今から断崖絶壁を登ろうとしている。そんな気がした。本当はぐじゃぐじゃの液体上の生物なのに人の形をしなければならないとしたら、そりゃあ疲れるよね。
 そして動転する。辛いと思っていることを自覚することで益々落ち込む。私には落ち込む権利はないと思ってしまう(私より辛い思いをしている人はたくさんいるはずだ)。私の「落ち込み」は落ち込みではないと思えてくる。それでも自分としてはなんだか辛いと思ってしまう。しかし、辛いと思ってもこの辛さは解消されないことを経験上知っている。だから紛らわすしかない。けれど辛い。全然ループから抜け出せない。そうして、朝ごはんは食べて(食べた)それ以外、午前中はずっと横になってスマホを見ていた。嫌な気分になった。

 お昼時になった。昼ご飯は食べたかった。だからカップ麺の蕎麦を食べた。そういえば私は目下漢字検定の勉強中で、「蕎麦」という漢字を書けるようになったのだった、と思った。今日は漢検の勉強ができていない。いや、本当は一昨日からできていない。それにしても蕎麦を食べるなんて久しぶり。ちゃきちゃきをお湯を注いで4分待って冷蔵庫にあった天かすをこれでもかと投入して蕎麦を食べた。久しぶりの蕎麦はカップ麺でも美味しいと思った。私は蕎麦を食べることに集中することにした。麺を啜る。蕎麦、美味しいなあと思った。天つゆがあまり好きではないから蕎麦は普段は食べない。でも蕎麦の麺は好きだなあとか。天かすをたくさん入れて食べれば苦手なつゆもマイルドになるなあとか。

 蕎麦を食べ終わると幾分か気分が上向きになった。なので、日記めいたものを書いているノートと万年筆を取り出し、何かを書き始めた。今自分が考えていることを書ける限り、気が済むまで。万年筆のカートリッジはストックが底を尽き、今使っているものもインクの量は残り3分の1で、万年筆のインクは案外もちが良いのは知っているけど、書きたいと思っている今、インクの残量を気にしながら書くのはストレスで、その場でインクカートリッジを注文した。明後日には届くらしい。だから今日明日でインク切れを起こしたら元も子もないのだけど(多分今のペースなら今日明日は余裕でもつ)一つ行動を起こせたことに気を良くして、ますますペンを持つ手が捗る。

 書くことでからだをほぐしていくような感覚だった。確かに、息を吸うためには息を吐きださなければならない。別に、具体的な何か、差し迫った何かに対して困っていたわけでも悲しんでいたわけでもないのだけれど、考えていることを素直にアウトプットするだけで気分が幾分マシになるのはすごいことだと思う。これは私だけなのかしら。他の人の生活を私は知らないけれど、日記を書いている人なんて少なそうで、他の人は一体どのように自分のメンタルを安定させているのだろうと不思議に思う。

 大体気が済むまで書いたので、読みかけの本を少し読み、冬物の服について考え、外に出て軽く運動し、ついでに服を見て、結局買わずに帰ってきた。午前中の絶望は何だったのだろうと、不思議に思えるくらいまで気がつけば回復していた。

 布団に横になって裸足でシーツをなぞるときの冷たさが好き。これからしばらくの間寒くてシーツは冷たいだろうから嬉しいなと思う。ポケモン対戦形式の一つ、ダブルバトルの世界大会で、ボーマンダバンギラスガブリアスの中に混じるちっこいパチリスの可愛さと驚くほどの有能さに笑った。喉が渇いているときに飲む水は喜ばしいほど美味しい。他人が羨ましく、B5のノートはたくさん書けるから大好き。あとで衆議院選挙の各党の公約読まないと。

 それらが合わさって私ができていて、それしかなかった。でも、やっぱり疲れた。私を維持するのは時々恐ろしく大変なことだと思う。