朝ごはんを食べると、私はマグカップを取り出し氷をひとつかみ入れる。カフェオレベースをとくとくと注ぎ牛乳で割るとカフェオレの完成だ。
傍らには読みかけの小説がある。江國香織の『東京タワー』。早ければ今日読み終えるだろう(そして読み終えた)。右手にマグカップ、左手に本を持つ、床にそれぞれ置いてうつぶせになる。まだ寒くはない。大丈夫。そうして私は徐にカフェオレに口をつけ(べたりとした甘さが口の中に広がる)ページを開いて続きを読み始めた。
珍しいことである。カフェオレを飲み、ごろごろしながら本を読むなんてことは。
カフェオレを読む。そこまで珍しくない。ごろごろしながら本を読む。これも珍しいことではない。
だけど、珍しくないことと珍しくないことのかけ合わせは珍しかった。
今日は珍しく始まった。台風が来ていたからかもしれない。
「何がしたい?」
と、訊いた。なにしろまだ朝の範疇に入る時間なのだ。
「何でも」
透はこたえた。何でもいい、の何でもではなく、何でもしたい、の何でもだった。
(江國香織『東京タワー』p.154)