シシャモとホッケ

 これまで使っていた日記帳を使い切ってまた新しいノートを開く。今回のノートは、実は数年前に既に買っていて、何度も書いてはページを破って、というのを繰り返していたもの。この際、本腰を入れて使い切ろうと手に取ったのだった。今まではB6サイズを使っていたけれど、今回はB5。書く頻度が上がったので、よりたくさん書くことのできるB5サイズをこれからは使っていくかもしれない。B6の方がコンパクトでちょっとしたときに書きやすいのだけれど。ああ、小さい鞄で出かけることがあるならそれは困るなあ…少し考えます(基本的に日記帳はいつも持ち歩いているので)。

 書いたものは私にとって足跡のようなものだと思う。一歩、それ自体をじっくりと見つめながら歩くことはないけれど、私は確かに歩いてきたし、今も歩いている。自分の進む方向が正しいのか、歩いてきた道のりはどういうものだったのか、考えることはあれど、どうしてその方角に進もうと思ったのかについては考えない。私のことでなければ考えるだろうが(例えば一国の歴史)自己分析はほどほどにしたい。私以外に目を向けたほうがよほど楽しいのだから。

 夢もなければ目標もない。そういう私にとって、ノートを使い切るということは人生の一つの区切りみたいなものになるのではないか。そんなことを考えている。大体数か月という短いスパンで(一冊のノートを日記として使い切るのに1年はまずかからない)私の生は区切られていく。

 ノートに何かを書くということを始めたのは中学生からだが、当初はある意味<復讐的な>性質を帯びていたし、私なりの<抵抗>でもあった。夢も希望もない、つまらない日常へのカウンター。そして今もなお根底にあるものは変わらないのだろう。今の私にとっても人生は退屈で、そして今の私にも夢や希望はない。

 ただ、つまらないからといってそのまま漫然と過ごすわけにもいかなかった。夢や希望がなくても時は流れていく。そういう状況でどうサバイブするのかといったら、私にはとにかく日記めいたものを書くしかなかったのだ。書けばコンテンツになる。書けば他人になる。書けば標本になる。そうして、数日書かなかったり、一日ずっと何かを書いていたりするようになったりを経て、今の私がある。

 使い切ったノートの最後のページにこんなことを書いた。

ノート一冊、私はまた生きた、ということ。

 そう。本当にそうだった。読み返すことはほとんどない。今まで歩いてきた道のりを振り返って見つめることがないように。だけれど、放り投げられたノートが段ボールに溜まっていく光景は、そのまま私が歩いてきた道のりになる。また一冊ノートを使い終えることができたことを嬉しく思う。表紙をめくってまた新しく白紙の紙に書けることを喜ばしく思う。そんな風に私は生きている。

 昨年からドリフターズ・リストを新しく作成し、継ぎ足し継ぎ足しで書き留めている。バケットリストのようなものだが詳しくは『太陽のパスタ、豆のスープ』ご参照。

 もれなく前のノートから新しいノートに書き写していく。面倒な作業だし、リストが長くなればなるほど手書きで書き写すのは大変なのだが、書き写して改めてその内容にハッとさせられた。普段定期的に内容を確認しているというのに。ただ見るだけではなく自分の手できちんと書くというのはそれなりに効果があることなのだなと思った。

 できたこともあるし、できていないこともある。31番目は「北海道のシシャモとホッケ」と書いている。北海道の居酒屋とかで新鮮なシシャモとホッケを食べられたらいいなと思って書いたものだ。いつ叶うのやら。もちろん、ドリフターズ・リストは一つの指針であって必ずしも頑張って叶えるものではないのだが。

 シシャモとホッケのようなものをあとどれくらい見つけられるか。それをどれだけ叶えられるだろうか。

 でも。私は考え直す。

 別に叶えなくてもいい。ただ困った時、途方に暮れたときの道しるべになるものがあれば。空白に北海道でも奈良でも兵庫でも行きたい場所があるだけで、それが足を前に出す理由になる。