淡々と確かさ

 アンソニー・ドーアシェル・コレクター』の帯にはこんな言葉が書かれている。

時間が止まる。息を詰め、そっと吐く。

 たいへん私好みの言葉だと思う。静謐さを愛する私。毎日の文章は私が変容していく過程を映し出している。変わらざるを得ないこと、どこかに流されてしまうことについて楽な気持ちでいたいものだ。

 書くことがつまらないわけではないけれど、発見が少ないので最近は書き甲斐がない。
 私は書いていて「無駄!」と思っていて、だから無駄であることを理由にこのブログをストップすることにはならなくて、空っぽの人形がカタカタとキーボードを打っているような、もしその通りなら面白いかもしれない、空虚さがある。
 虚ろでも書かない理由にはならなかった。何のために書いているのかすらわからないぐらいの、北極星みたいな存在であってほしい。

 淡々と、確かな小説が好きなのだと思う。淡々と確かさには美しさが宿ると本気で思っている。でないと私は生きていけやしないとさえ思っている。淡々と確かさをなぞるように文章を書く。多分それは、今の私にとっての目標みたいなものになる。生活を自分の中のコンテンツにしないとどうやらやっていけない世の中であるらしいというのは、実は子どもの頃から思ってた。