ワクチン接種

 COVID-19ワクチンモデルナ筋注を接種する。
 私の住む自治体はまだまだワクチン接種が遅れていて、試しに自衛隊大規模接種センターの熾烈な(熾烈なのかな)予約合戦に挑んでみた。これも経験だと思って。

 「本気で勝つつもりじゃない」と心の中で言いながらも、しっかりパソコンとLINEを開いて(その為には友だち追加しなければならない。「友だち」という呼称、どうにかしてほしい)18時を待つあたり、抜け目ないというか姑息というか。アクセス数が多いので、待機画面に飛ばされしばらく待つと、LINEの方で認証画面に進めてしまって、開始3分であっさりと予約することができてしまった。たまたま運が良かっただろうと思うのだけれど、運の良し悪しでワクチン接種できる人とできない人が生まれるのは不公平で、何とも言い難い気持ち悪い感覚が胸に残る。そもそも住む場所で接種できている人、できていない人が生まれてしまっている現状があり、だからこそ大規模接種センターなのだが。予約できたからには接種した方が良いだろう、当日はギラギラと太陽が照り付けるなか、大手町に向かった。

 COVID-19ワクチンモデルナ筋注。販売名はひらがなだと「こびっどないんてぃーんわくちんもでるなきんちゅう」。え。可愛い。電車に乗りながら、私はワクチン接種に関して、安心安全そうなホームページをいくつか検索して読む。ワクチンはこういう仕組みで、こんな副反応があります。接種センターには医師や看護師が常駐していて、接種後も一定時間経過観察の時間をとります。読んでも読んでも完全に気分が晴れることはない。
 自衛隊の大規模接種センターの動線は見事だった。洗練されたシステムで私はベルトコンベアに載ってただ流されていく。体温を測り、番号を確認され、予診票を元に問診を受け、ワクチンをぶすりと肩から流し込み、しばらく待機して、終了。何も問題が無かった。案内する人もワクチンを打つ人も終始親切で丁寧だった。それでも、それでも、人間がAutomaticになった時、そこにはある種の不気味な、狂気じみた何かが生まれるのかもしれないな、と思った。人が人を機械的に殺すことも、そりゃああるだろう、と思った。それは個人の問題ではなく人間の問題であり、構造的な問題だ。お医者さんや誘導係の人の問題ではない、と思う。
 センターを後にして、東京メトロの地下入り口を下り、混雑する駅構内を歩く。少し気分が悪くなる。もし電車に乗って体調が悪くなったらどうしよう。ドキドキし始める。でも私はその不安を確率論と楽観主義で押し込める。私にはそれは起こらない。何千分の一、何万分の一の「一」にはならない。そう説き伏せる。

 電車に揺られながら考える。私はどうしてこんなに緊張しているのだろう。どうしてドキドキしているのだろう。なんなら、どうしてワクチンを打とうと思ったのかしら?
 コロナに罹りたくないから?重症化したくないから?もう一度気兼ねなく出かけられるようになりたいから?どれも本当だけれど、ワクチンを打つ理由のすべてではなかった。何かが欠けていた。おそらくそれは、面倒なことを避けたかったからだ。
 現状挙げられているワクチンのデメリットとメリット、そしてコロナウイルスに罹って重症化した場合のデメリットを比較した時、より面倒なことにならないのはワクチンを接種した場合だと思った。コロナによる体へのダメージも、そこから復帰する過程も想像すると気が遠くなる。だから私はワクチンを打ちたかった。
 何が言いたいのかというと、死はそこまでリアリティのあるものじゃなかった。コロナウイルスで死ぬことと、ワクチンの何らかの副反応かもしれない何かがあって結果的に死ぬことと、両方ともそこまで違いがなかった。だから私は今でも、コロナで死ぬことがあるかもしれないし、ワクチンを打って死ぬこともあるかもしれないと思いながらこれを書いている。道行く自転車に接触して頭を打って死ぬこともあれば、地震が発生してビルの鉄骨が落ちてきて当たって死ぬかもしれないし、車に轢かれるかもしれないし、何らかの病気を患って死ぬこともあるかもしれない。リアリティを持って身の回りの死を感じてはいないと思うけれど、死が遠いものであるとも思ってないよ。ああ、腕が痛くなってきた。
 ワクチンを投与したことで、何かが起こっている。耳を澄ます。なんとなく体が熱い気がするし、なんとなくリンパ腺が痛い気がする。なんとなく呼吸がしづらく、なんとなく気持ち悪い。自分の心臓の音を聞くと鼓動が心なしか早まる。体に意識を集中するのはあんまりよくないかもしれない。これでは体調が悪くなる気しかしない。体で起こっていることから気を紛らわすこと。結構大事なことだと思う。

  大規模接種センターの入り口はビルとビルの間の広いスペースにある。入口越し遠くに、皇居を囲むこんもりとした緑と、その頭上に広がる青空が見えた。それはとても綺麗で、こんな体験が二度となければいいなと思う(出かけることはいずれにしても楽しいが、大手町に行くのは面倒)。

 

 接種してNewな私で仰ぐ夏