行ったことがない町に行き、河川敷をひたすらに歩く。
アサガオ
本当はもっともっと青が濃かったのだけれど、上手く写真に撮ることができなかったアサガオ。かつてアサガオを育てていた季節があったことを思い出す。午前9時のこと。
天気は曇り。陽の光が強いとそれだけ消耗するので、このぐらいの空模様が丁度よいと思う。行先は大雑把に決めている。ルートはGoogle Mapが導き出してくれるけれど、あとは不確定。
健康食品のお兄さん
前方に目を向ければ、自転車に乗ったおばさんたちが続々と敷地に吸い込まれていく。何事かと目をやれば、茶髪にフェイスシールドでスーツ姿のお兄さんがいて、もしかしたら健康食品の販売会かもしれなかった。店名や商品を見たわけではないから断定はできないけれど。おばさんとお兄さんがにこやかに話している。交わされる朝の挨拶。私の方が異端のようなそういう穏やかな空間だった。何かを願うこと。何かに縋ること。その奥には幸せになりたいという願望や、満たされない心があるのだろうか。わからない。わかるけれど、わからない。
もっさもさしている。
あえて自転車の通る道を歩く
歩道橋。階段と自転車が通る道と靴が通る階段と自転車が通る道と階段。あえて自転車が通る道を上る。両手を広げてバランスを取って。コカ・コーラの空き缶か?下ばかり見ているとゴミばかり目につく。ゴミを捨てる人は案外前向きな人なのかもしれないな。
泣く壁
なんだかそれは壁が泣いているようにも見えて、つられて悲しくなってしまった。
アジサイ
ぼーっと見ていると、なんだか青色の脳みたいにも思える、これはアジサイです。人間の脳みそが咲いている。梅雨。
軟式テニス部
軟式テニスの「ポコン」「パコン」というボールの音が好きだ。軟式テニスやりたかったなあ。
アゲハ蝶
キアゲハがふわふわと飛んでいる。ポルノグラフィティの『アゲハ蝶』を聴きたくなる。喜びとしてのイエローはわかるにせよ、憂いを帯びたブルーと世の果てに似ている漆黒の羽はちょっとわからんぞと思ったら、どうやら『アゲハ蝶』で歌われているアゲハ蝶は、キアゲハではないらしい。道理で。アゲハチョウも種類が様々である。
おそらく何十回と聴いてきた曲だが、悲しい曲だと思ったのは初めてかもしれない。
河川敷
河川敷だって地上だけれど。それでも地面より、町々より、ほんの少し空に近い場所、それが河川敷。河川敷へと続く坂を上るとき、いつも心が少し沸き立つ。
アスファルトは日差しに容赦なく温められ、目玉焼きが作れそうなほど熱を持っている。一方風は絶えず吹き付け、その温度は冷たい。熱さと冷たさが渦を巻いていて、混沌と化していた。草花が揺れる。雀が懸命に羽ばたくも、現状維持がせいぜいで、諦めて羽の動きを止めた途端、風によってどこかに吹き飛ばされてしまった。さらば。道中の無事を祈る。雲は流れ、太陽が現れたり消えたりを繰り返している。
「精神的疲労は肉体的疲労にある程度転嫁できる」の経験則により、およそ20㎞のエクストリーム散歩を実行し、文字通り私の精神は「無」となり果てました。もはや何に疲れていたのかも忘れてしまった。ただそれは一日だけの安寧であり、翌日にはやっぱり何かについてぶすぶすと考えてしまっている。疲れた。