沼の周りを歩く。

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 とても沼な沼で良かった。湖より沼の方が気分に合っている。

 梅雨から夏にかけての、空気がどーーーんと留まっているような、それでいて春から初夏にかけての風が流れる感じが両立している、面白い天気。暑かったり、涼しかったり。私は沼の畔を歩く。疲れていた。

 

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 釣り人の多くは一人だった。釣りをする人のメンタリティを私は知らない。釣りを趣味にする予定は今のところなく、洗練された釣り人の装備は私の不可能性だった。厳密にいえば、不可能ではないのだけれど(私も釣り人になることはできる)釣り人にならないこと、なれないこと、そこに何があるのかを私は書きたかった、のかもしれない。

 

 疲れていた。特に理由がない倦怠。出かけない理由は山ほどあった。日焼けするのが嫌だった。汗が目に沁みるのも嫌だった。出かけたところで得られるものなど何もないと思った(実際そんなことはない)。だけれど、出かけなければ自分が腐っていくということだけはわかっていて、私はノロノロと身支度をする。効果を求めすぎるのは現代に生きる人間の悪い癖。面白くなかったことなんてないのに、出かけることに何かを求めすぎることの、これまた己を窒息させようとする心の動きを私は憎む。別に誰が悪いというわけでもなく。

 

 電車の中で前日に買ったスタバのチョコレートチャンクスコーンを手でちぎっては口に入れていく(他の乗客に眉を顰められない程度に。まあ乗客はそれほどいない)。大きな大きな川を渡る。川を渡るとき、他の乗客も体を捻り窓の外を見ようとするのが面白い。川の流れ、私も好き。目が離せない。

 

 同時にたくさんの本を読み過ぎている。『更級日記』を読み終わった。芥川も読み終わった。まだまだ読めてない本が机の上に積まれている。

 

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 あたたかいところとそうでない場所があるのが面白い。土の匂い。草の香り。有機物の気配。誰がどうとか私がなんだとか、マジでどうでもいいなと吐き捨てるように心の中でつぶやく。私が私であることなんてどうでもよくないですか?沼が沼であることは尊いと思うけど。自尊心の欠如と言うのかしら。私はそう思わないな。もう私が私であるとかどうでもいい。空気に溶けたシチューのルーみたいになっていればいい。シチューって美味しいよね。余談だけど。ということを書きたくないからこのブログを始めたというのに。

 

 毎月選んでいる10枚の写真が今月で全部合わせて290枚になる。

 

 他人のことなんて本当にわかんないな。ぜんぜんわかんない。考えてもわかんないから考えないようにしているのだと思う。コツンと岩盤にあたって、そこで行き止まり。

 

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 沼は私の心を晴らしてはくれない。濁った水はどろっとしているようにさえ思う(実際はそんなことない)。私の姿は水には映らず、さっきより空気が蒸している気がする。それでも長く歩いていると考えごとはどうでもよくなり眠くなりお腹が空きうどんを食べて帰った。そのうどんがとてもとてもとても美味しくて、まあいっかとなって私は今日も生きた。今日も生きたのであった。