ぱらりとページをめくる。
2020.11.14(土)
潜水日記*1をやめる。終わらせる。
私が私について書く季節は終わって、私と世界の関わり方を書きたくなった。
瞬間のことを書くけど、もっと時間を置きたいし丁寧に書きたい。私がここにいるということを書く。タイトルは何にしよう。
もうすぐ日記を書き留めていたノートが終わる。次に使うノートは既に購入済みで、早くまっさらな新品のノートにペンを滑らせたいような、それでいていつまでも終わらないでいてほしいという気持ちもあって。
ずっと前からノートに何かを書く(大概はその時々の鬱屈した感情を)ことは続けてきたけれど、一度過去のものは全部捨てて、「日記を書く」ということを意識するようになってから3年ほど経つだろうか。
書いた瞬間がクライマックスだから後から読み返すことは少ないけれど、たまにはいいかもしれない。基本的に私は今現在の私がいちばん最高だと思っていて、読み返しても面白くないのだ。
日記を書くことによる一番の学びは、「人生とは一足飛びで過ぎ去ることはない」であった。ノートが大好きだから早く使い切って新しいものに手を出したいのだけれど、ノート一冊を終わらせるのはそれなりに時間がかかることに気づいた。少なくとも私のスタイルでは、だけど。ノートを使い切る為には時間がただただ過ぎればいい、過ぎ去ったことを書けばいい。でも時間は平等に淡々と流れていく。早く過ぎ去って、と願っても。そしてある地点まで到達したタイミングで振り返れば、どれだけの道のりを歩いてきたのか、その遠さに愕然とするのだ。
もう一度人生をやり直すなんて御免だ。そしてこれから先ずっと生きるのも勘弁してほしい。私には今しかない。そうでなければ耐えられない。中学生の頃のちょっとした絶望感は、日記を書くことでより強化されたかもしれないなあと思う。それが良かったか悪かったかは知らない。
ぱらりとめくる。書いたことすべて覚えている。それを今一気に書くことなど到底不可能で、地道にコツコツとか、そういう言葉苦手、と思いながらも、あんたは正しいよって思う。腹が立つけど(だって地道にコツコツって苦手)。
書いても書いても仕方がないって時々思う。この行為は無意味だ。
でも書くことで考える、それが好きなんでしょう?息を吸って吐くことと同じだと考えれば?書くことが生産的かどうかなんて考えるのはやめたら?
*1:このブログの前身