調査報告書

 読み進めてはいけないと一人の自分が言っている。一方で別の私はスクロールする手を止めない。先ほどから吐き気がする。頭が重たい。胸がどきどきする。耐えられるか。私は耐えられるのか。

 ひょんなことから、とある事故調査報告書を見つけてしまう。私はその事故を知っていた。人命が失われた事故だった。過失者がいて、被害者がいて、助かった人もいて、助からなかった人もいた。その事故について多くは語るまい。

 

 何を考えているのかというと、どうしたら過ちを犯さないですむのか、ということだった。自分が間違えないとは言い切れない。というか日々間違いばかりだ。それが大したことがない間違いであればよくて、他者を巻き込むような大きなものになったときに、私は耐えられないだろう、多分。でもきっとその時になったら簡単に間違えるのだ。それが、心底怖い。

 ドラマ『MIU404』では、物語全体に通じるテーマとして「分岐におけるスイッチ」というのがあったと思う。ドラマとしてそのテーマに対する答えのようなものも提示されていたと思う。

 結局、たまたま仕事中に事故調査報告書を読んでしまったのは「スイッチ」なのだろう。私がこの文章を書いているのも「スイッチ」になるのだろう。私自身の行動が私の運命を変えるし、他人の運命を変えることもあるだろう。

 「スイッチ」一つひとつに自覚的であることなど不可能だ。大抵はそれが「スイッチ」だと気が付かないまま右に進み、左に進み、右に進み分岐を繰り返していく。絶望する。すべてをコントロールするなんて無理だ。

 制御できないなら。気づくことができないなら。私は考える。

 私はすべてに対しできるだけ真摯でありたい。それしかとる術はない気がしない?悲しいけれど。

 私の親は私に「勉強しなさい」とは言わなかった。けれども「選択肢は増やしなさい」とは言われた気がする。「そう言ったよね?」と聞いても多分忘れているだろうけれど。もしかしたらそれはいつのまにか自分が拵えて自分に言い聞かせている言葉かもしれないけれど。

 間違いを犯さないために、私は間違いを知らなければならない。それが「勉強する」ということだと思う。

 

 本当に怖い。

 報告書には過失者に関する記載もある。その人がどういう人だったのかという部分に差し掛かったとき、直感的に「駄目だ」と思った。あまりに重すぎる。その重みを、忘れたくない。無かったことにはできない。