布団でごろごろとしていたら眠たくなってしまったので昼寝とする。
昼寝をするとなると真面目に眠る他ないので、結局2時間ほど眠ってしまった。15分とか30分という短い時間にパッと眠って起きることができない。
夢の中で私は仕事をしていた。嫌な夢である。そして時々誰か別の人(私がよく見ているYouTuberさん)になって私の仕事をしていたのが面白かった。
私は夢を夢だと認識することができないので、嫌な夢はそれは恐ろしい思いをするし良い夢はそれは満ち足りた幸福感に包まれる、つまりリアリティ、べったりと体に残る体験の残滓はあまり心地よいものではない。昼寝は気持ちが良いものであるが。
窓から室内に風が入り込んでくる。私はずっと風を気にしている。春からこの初夏にかけて、今年はどうしてか風に敏感になっている。どうしてなのかはわからない。むしろ今までどうして風に無関心でいられたのか。何が起きているのか。風は冷たい。冷たいということが私の気分を高揚させる。
今日はとりわけ過去を過去として認識できないようで、昨日とは?という不思議な気持ちになっている。自己が断線しているほどではないが、私とは?というか<私>ってどうでもよくなーーーーーい?という私がいる。どうした。これが昼寝効果なのだろうか。そういう日もあるだろうが。明日の私はまた別物の私であるはずだ。
孤独について考えていた。結局ずっと<孤独>とやらは付きまとってくるもので、「だって理解されるはずないじゃない」と思った瞬間からきっとずっと続くものなのだ。「理解されるはずがない」という感覚は、つまり「私が他者を十全に理解できることはない」と裏表になっている。
完璧な理解=孤独ではない、だったらそりゃあ孤独から解放される日は来ないだろうなあ。どうして完璧に理解されたいと願うのだろう。無理に決まっているのに。
孤独感というのは欠如を感じる空白の時間があるから感じるものなので、対処法としては何か本を読むなり体を動かすなり観察をすればいいのだけれど、ちょっとした隙間にするっと入り込んでくる孤独とやらは一度認識してしまうと振り払うのはなかなか難しいものだ。私よ、とっとと寝ろ。
しかし厄介なことで私は昼寝したばかりであり、しばらくこの孤独とは付き合わねばならなそうだ。そういう日もある。昼寝したばかりなので体力はある。