全力疾走は危険です

 平日の昼下がり。少し外を歩くことにした。そして出くわしたのだった。

 

「全力疾走は危険です」「事故の原因となりますのでご遠慮願います。」

 

 その張り紙が目に入って、私は一度掲示板の前を通り過ぎる。そして足をぴたりと止め、そのまま後ろ歩きで戻り、スマホを取り出す。パシャリ。ふへ。

 全力疾走は危険、か。歩きながら私の顔はほころぶ。ふへへへへ。すぐにちゃんとした普通の人の顔に戻す。ふへ。

 今日はこれが一番の収穫だな。特大の上物を見つけてしまった、よっしゃあ!と心の中で快哉を叫ぶ。

 全力疾走は危険、全力疾走は危険、全力疾走は危険。口の中で飴玉を転がすように、ころころと唱える。ふへ。こんな素晴らしい注意喚起なかなか無いと思う。江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』に通じる何かがある、かもしれない。

 さて。遊ぶのはほどほどにして。私は歩きながらぼんやりと考え始める。この注意喚起を真正面から受け止めてみることにする。私が最後に全力疾走したのはいつだろう。普段定期的に運動はしているけれど、それは全力疾走ではない。走るときはジョグペースであって、スピード練はしない。私は、全力疾走を、しない。だからあの張り紙のように注意喚起されたところで、何も、不都合は、ない

 じゃあ、仮に。今、疾走してみよう。ショルダーバッグに文芸本とノートとペンと財布とスマホを入れていて、きっと走るときには邪魔になるだろうし、中身は揺すられじゃこじゃこになるだろうけれど、それでも走ってみよう。そうだな、なんだか肉離れを起こしそうだ。ぴきーんとなりそうだ。全力疾走は、ほどほどに、リスク

 でも全力疾走は「危険」とやらが制御できるものではないじゃない?私は思う。全力疾走とは閃きであり衝動であり、「危険」の手に負えるようなものではない。だからあの張り紙は、ぜんぜん、ナンセンス。

 うふふふふ。面白いなあ。私は歩く。次第に眠たくなってくる。