PARM

 スーパーに寄って牛乳を買う。甘いものが食べたいのでPARMも買う。スーパーをあとにして、買ったばかりのPARMの袋を開けて歩きながら食べ始める。バニラアイスをコーティングしているチョコの部分に「飴っぽさ」を感じる。なんだろう、何かの成分なのかな。

 そのまま真っすぐ帰るのも気が引けて、おもむろに公園に向かう。体が怠い。ベンチに座り込みアイスの続きを食べた。アイスは溶けてどこかに消え去り、木でできたバーの部分を舌で転がす。煙草を吸うように、野草を食むように。脚を組むけれど、膝から下の長さが足りない。脚を組むのは脚が長い人なんだよなあと思っていたら、唐突にやるせなさが襲ってきた。今、私は、悲しいみたいだ。

 悲しさの根源を探ろうとする。何が私は悲しいのだろう。自転車置き場が見える。灯りが煌々と自転車を照らしている。誰もいない。目頭が熱くなって悔しくなる。思わず奥歯で木のバーを噛む。ミシっと音が鳴る。鼻がツンとして急いで空を仰ぐと、星が見えないただの夜空。いつも立ち止まったとしてもすぐ歩き始めるから寒さなんて感じなかったのに。3月になったけれど、まだまだ夜は冷えるみたいだ。

 ただただ悲しい夜があってもいいと思う。しかしその沼は冷たくつらい。感情が焼き切れてしまえばいいのに。そうしたら何もつらくないのに。「つらい」ということが信じられない。どうせ一過性のものであるのだから。私は気分屋なのだから。明日には大丈夫。すべては良くなっている。経験からなる予想がさらに嫌悪感を募らせる。じゃあ、今日この瞬間の私のこれは一体何なの?何を信じればいいの。

 PARMは甘い。PARMは確かに甘かったのだと言い聞かせる。この世のよすがとして。