侮りフォルダ

 「でね、俺はAはBでCだと思うのね」という話を体感10分間延々とループで聞かされながら、50%の私はこの上司の機嫌を損ねない程度に気の利いた相槌を打ち、もう半分の私はこの上司を脳内デスクトップにある「侮りフォルダ」に入れるか入れまいかのせめぎ合いの最中にいた。

 この人物の話は聞くに及ばない。そんな判断を下すことが時々ある。道端ですれ違う人、電車での会話、喫茶店での世間話。そうした一瞬の出会いに対して都度都度そのような判断を下すわけではない。判断できるほどの情報がないし、判断したところでそこでグッバイな人たちなのだ、意味がない。

 ただある程度の時間(一日や二日ではない、一ヶ月とかそれ以上)を共にし、口癖や思考のパターン、拘りがなんとなくわかるぐらいになると、さて、脳内デスクトップの出番になる。

 まずは面白いか面白くないか、私が今まで知らないタイプの人間かどうかのフォルダ(通称「この人ユニークかどうかフォルダ」)をクリックして開こう。このフォルダに入れるか判断する。大概の人物は入らない(もちろん、誰かの「この人ユニークかどうかフォルダ」に私は入らないだろう。お互い様だ)。

 次は、取り扱い要注意フォルダだ。ここの中身はあまり見たくない。開きたくない。だからデスクトップに散らばるたくさんの顔写真アイコンを選択して、そのまま取り扱い注意フォルダに放り込む。えいや!と。ただ、ここに入る人はそうそういない。何故なら大概は私からその人を避けるようになるからだ。そしてフォルダの中身は自然消滅でゴミ箱行きへ。なかなか見苦しい表現だ。正直気分がいいものではない。次。

 さて、ここでようやく先程言った「侮りフォルダ」の出番になる。

 「その相手の話は聞く価値があるのか」という基準で、私はホイホイとたくさんの人たちをこのフォルダに入れてきた。無意識に。そして先のループ上司もそのうちこのフォルダに入ることだろう。

 自分が話している内容と目的を自分自身がわかっていない。意図を伝える努力や熱意がない。改善する余地がない。直感的にそう判断した相手を、私はとにかく「侮りフォルダ」に入れる。時には、仕事が片付いた私の終業後の時間を奪ったことに対する怒りなどを纏いながら。自分が話していることを鏡に向かって言ってみなさいよ!と怒る。

 でも。

 昂ったテンションを落ち着けながら私は思う。「侮りフォルダ」というシステムは悲しいことだ、と。そしてリスクも大いにある。

 リスクから挙げるならば、人間というものは、一般的に自分の話を聞かない人に対して良い印象を抱かない。そして「この人は自分の話を聞いているのか、いないのか」という判断は直感的、かつ、主観的だと思う。その人がどれくらいの感度なのか正確に測るのは困難で(正確に把握できると思うのであれば、それこそ人を侮っているというものだ)危うい綱渡りだ。虎の尾を踏むか踏まないか、人を侮るという行為は薄氷を踏むような行為だ。

 それでも「侮りフォルダ」そのものをごみ箱に入れないのは、誰に対しても誠意を示すなんて馬鹿馬鹿しいと思う自分がいるからで、私はいつか痛い目を見るのだろうな、まあ、実際友だち居ないからな、とか思っている。もちろん処世術として基本的には誰に対しても誠実に行動するのが良いと思っているし、そう行動しているつもりだが。

 それに、人間はひとたび他者をカテゴライズするとその変更がなかなか難しいということがある。できることなら他人を「取り扱い注意フォルダ」にも「侮りフォルダ」にも入れたくない。それはお互いに不幸だから。不用意に嫌いたくないし幻滅したくないし怒りたくない。しかし、私自身が穏やかでいることを許さない。

 結局「侮りフォルダ」がある限り、少しばかりの後ろめたさは切り離せない。脳内デスクトップのセキュリティがガバガバで情報漏洩しているのではないかという小心者の私、そして人を侮るという行為の徒労のようなもの。

 だから思う。懇願に近い。侮りフォルダに入れさせてくれるな。あなたの言葉と時間を大切にしてくれ。それはすなわち私の時間とエネルギーも守られるということだから。

 と、同時に。私も誰かの「侮りフォルダ」に放り込まれているのよ。私が私に囁くその声は、私を悲しくさせるのだ。自分が誰かの侮りフォルダの末席を飾っているのは仕方がない。受け入れよう。反発する気は一切ない。しかしそれを回避できるタイミングはなかったのか、相手の複数回にわたるシグナルは私の体をすり抜けてしまったのか、どうやってもその人の侮りフォルダに入るしかならない人間なのか。考えてしまう。これは仕方ないことだが、仕方ないからといって、悲しくないわけではない。

 そもそも人は侮りフォルダに入れないまでも、他人の話をきちんと聞いていないものだ。私も、あなたも例外なく。

 私は人に聞いてもらわなくても構わない。とりあえずこうして今日も何かを書くだろう。しかし、あなたの話を聞かない私をどうすればいいのか。なかなか難しい問題だ。