サブウェイ

 サブウェイとは地下鉄であり電動スクーターのようでありサンドイッチだと思っていたら、電動スクーターのような乗り物は正確には「セグウェイ」であった。サブウェイ。地下鉄には乗るがサブウェイのサンドイッチは食べたことがない。サブウェイサブウェイサブウェイと、いい加減頭の中が煩いので休みの日にサブウェイでサンドイッチをテイクアウトして公園にでも行こうと思った。

 行ったことがないのだから当然システムなどわからず、深呼吸でスーハ―スーハ―と落ち着きを保ちながら野菜やら何やらが眠っている透明ケースの前に立つ。パンを選び、温めるか選び、トッピングの追加を問われ、野菜はどうするか尋ねられる。選択のオンパレードで、こういう次元では優柔不断ではないにせよ、小さな選択を短時間で迫られるのは疲れるようでもあり自分の嗜好を再確認する機会でもあったのかもしれない。それが煩わしいと思う人はいるかもしれないが、私はけっこう楽しかった。エビアボカド、ごまのバンズで温めは無し(目的地の公園に移動するまでにどうせ冷めてしまうだろう)無料でオリーブをのせてもらう。セットにはせず単品で。実際単品にするのが一番勇気を伴ったと思う。エビアボカドにしたのは、メニューに「No.1」を書かれていたからで、これは誘導では???とも思ったけれど、誘導されよう。BLTと最後まで迷った。512円くらいだった気がする。

 見知らぬ街を歩く。Googleマップで方角だけ確認してあとは適当に歩く。無人の野菜販売所があった。大きな一軒家がありピンクの三輪車がアパートの階段のところに置いてある。住宅地は私がありえなかった過去であり人生であると思う。誰か別の人の人生の気配が濃い。人の数で言えば渋谷のスクランブル交差点の方がよほど多いというのに、人生を感じるのは圧倒的に今私が一人歩いている寂しい道だ。

 目指す公園が見えてきた。訪れたことがあるようで記憶にない公園。曇りだからどこもかしこも灰色で『モモ』を思い浮かべる。灰の公園。大きな池なのか川なのか、水辺の近くにあるベンチに座り、サブウェイのサンドイッチをビニール袋から取り出した。ぺりりとシールを剥がし大きく口をあけてかぶりつく。

 トマトの酸味やレタスや玉ねぎ(玉ねぎかなぁ…)のシャキシャキが楽しい。アボカドのコクがたまらないし、歯でエビを見つけたときにはお宝を発見したようでうれしくなる。エビアボカドというのはそういう良さがあるのだ、相性の良さ以上に。

 サンドイッチを食べながら「私には悩みがあるのだろうか?」と考え始める。もぐもぐとパンの香ばしさを感じる。あるようで、ない。ないようで、ある。探せばキリがない。楽しいようで悲しい。幸せなようで苦しい。相反する状態を維持しながら生き延びる、それが人間のような気もしているし、悲しみは消え去ってはくれないのだ、パンの香ばしさをもってしても。

 が、今この瞬間の私の気持ちは明らかに「楽しい」というものであり、サンドイッチがあと一口しか残っていないのは寂しかった。次買うときはレギュラーの二倍にしよう。うんと歩いて歩いて歩いて、お腹を空かせてくたくたになった暖かい春の日に、もう一度サブウェイのサンドイッチを食べよう。

 食べ終わったので広い園内を散策する。

 私のある休日の話。公園の話はまた今度。