接続

 「よし、歩くぞ」と思って歩くのと惰性で歩くのでは、同じ歩くという動きでも意味合いがまったく異なり、前者は世界と接続している気持ちになる。どうも一仕事終えるとスイッチがoffになりそれ以降の自分は使い物にならないようだ。私はそういう自分がとても嫌いで、だからスイッチoffになる前に外に出て「よし、歩くぞ」と決意すると、offにしたいスイッチの隣にあるoffとなっているスイッチがonになる気配。これなら大丈夫だろうとoffにしたかったスイッチを遠慮なく切り、私は別の違うモーターで新たな一日を始める。マニュアル車クラッチペダルの感覚。

 歩くことは世界と接続していることなんだ。ふわりと浮かぶシャボン玉が宙に漂っては弾け、そうして私は帰ったら何をしようかと前向きな気持ちになる。るんるん

 楽しく考えごとをしていたら、1秒前の私が車に轢かれていた。ちょっと前に走り抜けた二台の車の車間に気を取られ(あれは、いわゆる「あおり運転なのでは?」というぐらい、後ろの車が前の車に迫っていたのだ)その姿を見送っていたら、左から車が来ていることに気づかず横断歩道に侵入してしまった。もう少し早く歩いていたら死んでいた、それぐらいの危うさでした。

 ははーん。足を止めることなく歩き続けながら、私は1秒前の私が死んでいたことについて考え始めた。あれは死んでたな。間違いなく死んでた。でも、私は1秒後の世界を生きているのだ。とても不思議。