誓い

 誓いとは「誓うこと」である。誓うということは「神や仏、自分や他者に対してある行為の実行を堅く決意すること」である。確かに、結婚式でこんなやりとりがあった気がする。それは、まあ、いい。誓いとは願いでもなければ祈りでもない。そこを私は混同していたのかもしれない。

 誓いについて私は考えていた。堅く決意する、か。縁が無さそうな言葉だと思ってしまう。それが良いことなのか悪いことなのか。ただ一つ言えるのは、誓わなくていい状態に温さを感じる、個人的には。他人がどうとかではなく、あくまで自分のこととして。温く、甘い。厳しさがない、恐ろしさもない。そしてその状態を後ろめたく思う、後ろめたいと思うことも、なんだかおこがましい。永久機関である。

 願っても、祈っても、叶わない。

 しかし、願いも祈りもない場合は?

 違う。願っても何も変わらないということを堅く信じる人間は、願いという行為が無駄に思えて願わなくなるのだ。無意味だもの。

 私に願いがないわけじゃない、祈りがないわけじゃない。でも、弱い。誓いは、ない。寄るべきものがない事の不確かさ。心細さ。不安。しぶとくまとわりついてくる心もとなさは、酒を呷ったところで消えてはくれない。

 誓いなき人生を生きる。そこにあるのは混沌で、でも私はそちらの方が本当らしいと思うし心のどこかで安心している。

 宇多田ヒカルの『誓い』を聴く。誓うことができる人が眩しくて嫌になる。そういう自分であり続けることは、決して格好いいことでも、強いことでもない。

 

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