他人の物語

生きてる人間であれ、想像の人や動物やモノやコトであれ、それを楽しむとき、私は他人の物語を消費している。それは私の物語そのものではない。私の物語を構成するピースになるかもしれないけれど。

vlogでもいいなんでもいい、録音された足音が好きだ。それを聞く時、私は自分の足音を肯定することができる。日常の様々なことが映像として記録され手軽に閲覧できる世界において、人間は、人間の行為を何度も何度もミラーリングする。だから私は掃除をすることが好きになったのだと思う。誰かの掃除の様を見て、そこに美しさを見出したというわけだ。それもまた、他人の物語の消費であり模倣。

それが悪いことなんて言わない。が、あまりに消費がありふれていて、その海に溺れそうな気持ちになる。特に弱っている時なんかは。そもそも境界は曖昧だから仕方がない。

私は私の物語を紡ぐしかなく、他人の物語を生きることはできない。