エスカレーター

東のエスカレーターは、みんな左側にばかり立つ。そして、一般的にエスカレーターは歩いて上らない方がいいらしく、そう案内しているところが多いし、条例が制定されているところもあるくらい。

私が生きてるうちに、左側も右側も乗ることが当たり前になるのかしら、と思うことがある。それは植樹に似ている。植えた木が大きくなる過程をいまいち想像することができないみたいに。

でも、未来が見えないからって行動しないなら、何も変えられないと思うのだった。イスラエルは今すぐ停戦するべきだ。彼らがその姿勢を見せなくてもそれは言い続けなければならない(そして私はそれを日頃から主張できてないのだけど)。政治的なイシュー以外のことであっても、これってどうしてですか?という疑問と、それに関する思考と、表現は、続ける必要がある。

 

右側に立つのは「左側ばかり立つくらいなら右側にも立って乗った方が人を捌けて混雑解消されるだろうに、右側が空いてるのに左側ばかり乗るせいでエスカレーターの行列ができてるなんて、神様が見てたらさぞ馬鹿げてる風景だろう」と思うからと、それ以上にエスカレーターが可哀想って思ってしまうからだ。あなた、どう考えても左側だけ荷重がかかったら歪むでしょう、バランスよく均等に乗って欲しいわよね、おそらくは、とエスカレーターに対して思ってしまう。極端な言い方をすると、エスカレーターを上がるときの誰かの靴音が、そのまま誰かを殴打するときの音のように聞こえる。モノに感情移入してしまうことは、ときどきある。

 

普段、エスカレーターと階段があるときなるべく階段を使うように心がけているのは、自分の体力維持のためでもあるけれど、上記の理由でエスカレーターに乗るのが嫌になったからというのもある。少なくとも私は加担したくない。

 

エスカレーターに乗らなければならないのなら、なるべく右側に立つようにしている。朝のラッシュなどは(憎々しいけれど)難易度が高くて、だからそもそも階段を使うけど、右側に立つためにもう少し厚かましくならないとなあと思う。難しい。でも、率直に思うけど、どうしてエスカレーターを正しく安全に乗るために、厚かましさが必要にならないといけないのだろう。

階段を使うことができて、かつ、急いでいるならば、階段を使いましょうと思う。あなたには階段を駆け上がる体力があるのだから。あなたの省エネ思考で(すなわち階段を駆け上がるを力を少しでもカットし、その分をエスカレーターでブーストしてもらう)危ない思いをする人がいるのは、どうなのか。

様々な理由で階段を使えない人が安全に上に上がるためにエスカレーターがあるので今後も地道に抗っていきたいと思うけど、多分「邪魔だよこの女」とか思われてるのだろうな。でもさ(以下略)。

 

ちなみに、エスカレーターの右側に乗ってるだけで、私以外の誰かに意地悪してる気分になる、別に意地悪するつもりなんてないのにね。そして、私は普段、意地悪はしていないつもりだから、エスカレーターに乗るときは普段やらない意地悪を疑似的に味わえて、それはそれで面白いです。

 

右側に立っていた私をくの字を描くように追い抜いていったおばさんに、私はムッとしてしまって、この文章を書きました。