テント

朝、タオルケットを畳みながら(最近きちんと畳むことにはまっている)うだうだ言ってないでいますぐ眠りたい、と思う。過去の経験的に二度寝で至福を味わえるか後悔に襲われるか、どちらがどちらを凌駕するかの確率は半々ということを理解しているし、そもそも私がやりたいことはもう8時間眠ることなのでそれは現実的に難しいことを知っている。

あと16時間後の私は朝の私の弱い誘惑を覚えているだろうし、それに追従して眠ることはきっと幸せなことだろうと、と思う。

それからしばらくして、テントみたいだ、と思う。テント?

 

つい先日からファイナルファンタジー9を遊び始める。テントというのは、端的に言えば移動式宿泊施設で(実際テントとはそういうものだ)テントを1つ消費すると、キャラクターのHPとMPが全回復する。

レベル上げが好きな私がよくやることとして、MPが底をつくまで(つまり回復魔法で回復できなくなるまで)レベル上げをしてから宿泊施設で回復する、というものがあって、テントみたいだな、というのは、要はテントでただただ眠ってしまえばその日をスキップすることはできるけど、どうせ全回復するなら(その日布団で眠りに落ちて全回復できるかはわからないけど)残ってる体力でやりたいこととかやらないといけないことをやれば?どうせだから、みたいだな、ということ。うまく例えられているのか?人間、誰もが残日数は限られていることだし、と思う。もちろん、テントで一日棒に振るということも、一つの幸せになるとは思う。何を幸福と考えるかの違い。

こう考えると、自分の中の「行動することこそ正義!」みたいなものを感じて嫌になるが。何もしなくても頑張らなくても、別に大丈夫なことを理解はしている。しかし頑張った方が頑張らないより楽だし安心するらしいのは、病的かもしれない。その頑張りが、社会的に奨励されてそうなことも、はっきり言ってたちが悪い。利害の一致。善く生きる?うっせーよボケが、と思うことがある。人生は限られている、だからといって、より善く生きなければならないわけではないが、私はとりあえず限られた時間を意識して生きるという方針を取っている、その方が楽だからだ。勇気を持ってその選択をしているのとは違うと思うから、さてどうしたものかなと、考えてはいる。

 

ビビのことについて考える。ビビとはFF9で登場するキャラクター。黒魔道士の少年。物語はシリアスな方向に進んでいる。ビビとは何者なのかという縦軸が伸びている。

米津玄師のviviが、このビビをモデルにした曲なのかはわからないし、意味を察するに関係なさそうとは思うけど、童話の世界に紛れ込んでしまった気分にさせられるメロディはFF9のビビのことを思い出す。FF9の世界観が好きだ。登場人物たちがそれぞれわかり易くないのも良い。viviの「さよならだけが僕らの愛だ」という歌詞が、この先のストーリーで出てこないと嬉しい。