時の篩

現在、スマホに入っている写真データは70枚。気が済んだら消すようにしている。気が済んだら? 大体は記録用の写真なので、自分の中で「あ、もうこれはいいや」という諦めがつくまで消さずにおいておく。

同じことを手書きでもしている。手帳に気になることをすべて箇条書きにし、時、という篩にかけていくのだ。

手で抱えられるくらいの箱があるとします。そこに、気になることを書き留めたカードを一枚一枚放り投げていきます。気が向いた時に私は箱の中身を出して、前進か保留かを分類します。保留のカードは箱に戻し、前に進んだことについては破ってゴミ箱に捨てます。

というようなことをやっている。消化できたものもある一方で、どうでもよくなって諦めることもたくさんある。なんというか、時間が薬、みたいなことを如実に感じる。私のこの試みは、「カード」の内容が他愛もないことなので時間が篩として比較的短期間で機能してくれるけれど、もちろんずっと残り続けるものもあるだろうなと思う。だから、時が経てばすべてどうでも良くなるよ、という慰めはしたくない。ここで書きたいのは、時が経てばどうでもよくなることがあるということと、私の生活はがらくたのようなキラキラを消化することでできているということだ。