outside of meaning

展覧会「あ、共感とかじゃなくて。」展に行く。ディヴィッド・ホックニー展にも行きたいのだけど、人が多そうだった。

出かける時もそうなのだが、意識的、また無意識的に、payの見返りを求めてしまう自分が嫌になる。毒されている。と思う一方で、金銭とは別で、見返りを求める心の動きそのものは人間の原始的なもののようにも感じる。いつからこの心の動きを身につけるのだろう。何かを得るためには何かを払わなければならない。どうして? 誰が決めたのそんなこと。

話が逸れ始めている。私が気にしているのは、何かを得たがるということだ。得られなくてもいいではないかと思う。得たいと思って得られなかったことの方が辛いから望まない、というスタイルもまた問題があることは重々承知の上で。私は、展覧会に行くときに期待してしまう自分が嫌いだ。いつもまっさらな気持ちで美術館に行きたい。そして、悲しまずに落ち込まずにその出口を出たい。

現代アートは、思い通りにいかないから好きだ。理解できないし、腑に落ちないところがいい。でも、そういう「成果物」がなかったとしても、美術館に行く私でありたい。あらゆる行動に意味を求めたくないと思う、今日このごろである。もちろん、充実した展覧会ではあった。家に帰って、振り返っているところである。