やさしい着地

簡単な話だ。私は電車に乗っていた。本を読み始めた。その本はなかなかに引き込まれる筆致で、物語はどんどん進んでいく。すぐに読み終わり(残りは25ページほどだった)本を閉じると、なんとも言えない感覚が体中に広がっている。そこまで時間は経過していない。15分程度だと思う。電車に乗り本を開くまでの時間の流れ、本を読む行為がそこに割り込んでくる、割り込みといえばカラオケの割り込み設定、あんな感じ、そして本を閉じると再び割り込み前の時間が流れ始めるが、明らかに本を読む前と後で性質が変わる。濾過される前と後のように清らかさが違う。稀にある良い読書の効果じゃないかと思う。お父さんが(あるいはお母さんが)小さな子をやさしく下すときの接地の柔らかさ。ティアーズ オブ ザ キングダムなんてのは、その世界があまりに面白過ぎるあまり、現実への着地は乱暴で足が痛くなる。それが悪いと言うわけじゃない。ただ足が痛いだけ。今のところ、本という媒体が一番着地の成功率が高い。昔から本を読んでいたので私が最適化してしまった結果かもしれない。あるいは、外ではまったく見ないネトフリの動画も、ふうわり着地できるかもしれない。できなさそうだけど。何か(本なりゲームなりネトフリの映画なり)の前後で、時間の感覚、現実感はなるべくそのままで、でも明らかに何かは変わっている。そういう微妙な変化が、私は好きだなと思う。