Feeling

SHINeeのThe Feelingを聴いている。開放的でパワフルな曲だ。今年の好きな曲に挙げたいところ。

今の私は感情が死んでいる、というのはいささか誇張した表現だろう。本当に死んでいれば、曲が良いだとか素敵だとかは思えないはずだ。正確にはテンションが弾けるような盛り上がりが無いということ。

感情の乱高下は疲れると前々から思っていた自分としては、まさしくあるべき理想の状態かもしれないが、そこはないものねだり、感情を爆発させている人のコメントを眺めては羨ましいと思う。好きに狂うという状態はマリオでいう無敵スターのような効用をもたらす。狂いてえなと思う。いや、狂っていることを自覚できてないだけかもしれない。でも、狂いたいと思ってる時点で狂ってるわけがないよな。

世の中には好きに狂わなくても大丈夫な人がたくさんいる。むしろ、好きに狂っている人の方が少数派だと思う。好きにのめり込めるというのは才能で、それは1kgのカレーをたいらげることができることと似ていて、私はのめり込む才能がないのかもな、と思う。のめり込むふりをして、でもどこまで行ってもその行為を客観視することを止められない。性格が悪い。

何が言いたいかというと、The FeelingはSHINeeというグループを好きな人にとって喜ばしい、救われる曲だと思うし感動するもの、そのことを想像はできるけど本当の本当のところでは迫ってこないしそれが寂しいな、ということだった。もちろんSHINeeは好きなグループなんだけど、うっすい好きなんだよな、それが濃い好きと重さが変わるかというとそういうことを言いたいわけでもないのだけど。難しい。

濃い好きは、力強いし説得力があるから存在感も大きいが、色々な好きのあり様があっていいはずで、なので私は私の好きのあり方を大事にしていい。しかし「これで良いんだっけ」という迷いが度々生じてその度に自信を与え直すのが面倒だし、何回同じことをしてるの? と思っちゃう。

さて、これらのプロセスは、感情が死んでないことの証左になりうるか。弱く形が曖昧な名もなき感情があることを信じ、探し続け、そこに言葉を与えていきたい。