ほうきとちりとり

 大雑把な性格だからか、細かい所を掃除するのが苦手だと思う。が、掃除自体は嫌いじゃない。そして私はあまり部屋の掃除をしない。床に溜まっていく埃やら細かいゴミが許せないというわけでもなく、塵芥との不思議な共存生活。いよいよ我慢ならなくなったときに掃除機を取り出して渋々電源を点けるのだ。

 きっかけは『寂しい生活』(稲垣えみ子)を読んで。その中で、筆者は電気のある生活を見つめ直すわけだが、掃除機も当然電気で動くものなので「本当に掃除機必要か?」という疑問が生じる。私も考えてみた。そして気づいたのは、私、そもそも掃除機のこと好きじゃないね? ということだった。

 掃除機嫌いポイント。その1、収納している場所から出すのが面倒くさい。その2、音が苦手。嫌いな音とはまた違う、単純に大きな音だから苦手っぽい。その3、充電を気にしないといけない(使っているのは充電したバッテリーで動くタイプ)。その4、掃除をしたら収納しないといけない。

 考えた結果、ほうきで掃除してみたらどうかとなった(稲垣さんもそういう方向性に行き着く)。試しにほうきとちりとりセットをネットで買ってみた。そういうとき妙に凝りたくなる心をぐっと抑えて、一般的なほうきにしておいた。3年くらい続けられたらグレードアップしようね。

 自立するので目に付くところに置いておいた。ハビットトラッカーも同時期に始めていたので(習慣化したいことをリスト化して、その日達成できたかを管理するもの)「掃除をする」とリストにのっけた。さて、ほうきとちりとりで何が変わったか。

 ほうきとちりとり良いポイント。その1、手軽。その2、取れたごみが可視化できて掃除した感が得られる。その3、もちろん静か。いいじゃないか。

 大雑把な性格との相性も良いみたいだった。絶対ゴミ取るマンではないので、取れないゴミがあったって仕方ないと思っているし、そもそも今まで掃除をしてこなさすぎたのでハードルが低い。毎日ほうきを手に取って掃いているだけで素晴らしいね私、となる。要は、掃除するのは嫌いじゃないが面倒、というタイプだったので、面倒と思わないように導線に自然に組み込むのがよさそうだった。掃除機は、加えて「音」というのがネックになってハードルが高くなっていた。

 得られたものを可視化するのも大事だなと思った。達成感というやつだ。洗濯ものを干すことも食器洗いも浴槽洗いも嫌いじゃないのは、できたことが明確だからかもしれない。掃除機は、自分の行動(掃除機をかける)と得られたもの(ゴミ)のバランスがおかしいところがあって(ゴミが取れすぎる)いやいや、人間の動きは最小限に、そこから得られる利益を最大限に、が人類の進歩じゃんと言われればそれまでだけど、なんだか調子狂ってしまうようだった。自分の行動に対する確かさがない。魔法みたい。

 確かさ。私はそれを重んじているのかもしれない。魔法と満足感は別物で、自分が疲れすぎず、かつ、満足感も得られるのが一番ちょうどよいのではなかろうか。そして掃除するスペースの問題。ほうきとちりとりで十分な広さであること。