のろのろときっぷを買う

分ける必要は無いと言えば無いのだけど「お出かけ用」として毎月お金を積み立て「出かける」ときはそのお金を使っている。初めてから少しは経っただろうか。

何を「お出かけ」とするかは曖昧で、ひとりで、ちょっと遠くに出かけるとき、私は袋から幾らかばかりのお金を(その場所への交通費とやりたいことを考慮した上で予算を概算しざっくりとお札数枚を)持ち出す。もう既にこれが楽しい。実際お出かけしてみて予算オーバーしそうであれば私の概算が甘かったか、想定外の買いたいもの(もしくは買わなければならないもの)があったということ、いいじゃないか、と思う。無いよりはずっと。

どれくらい使ったのかをあとで振り返られるよう、例えば電車の移動はICカードではなくきっぷを買っている。モバイルSuicaだ、Apple Watchでタッチできるだ、時代の趨勢に見事に逆行している。初めてきっぷを買った記憶はいつだろう。覚えていないけれど、あの頃の私にとって電車に乗ることは確かに心躍ることである一方、行きたい場所はあまり無かった。「ここではないどこか」に行きたい気持ちばかりで、それは電車に乗って行ける具体的な土地とは結びつかなかったのだ。それはさておき。きっぷの話だ。

お出かけは、平日に休みを取って出かけることも多い。休みの日なら朝早くから電車に乗ることもある。私が着く頃には駅のきっぷ売り場というのは空いていて(今はモバイルの時代だから券売機を使う人がそもそも少ないのかもしれない)後ろに列ができなさそうだと確認すると、私はひたすらゆっくりきっぷを買うようにしている。券売機の上の料金表を見上げ目的地を探し運賃を見つけタッチパネルを操作してお金を払いついでに領収書も出してもらって(きっぷを買ったことと運賃を思い返せるように)きっぷをポシェットにしまう(失くさないように!)一連の動作を緩慢に。効率的に合理的に足早にみんなに迷惑をかけずに、の流れに逆行する、私のささやかな抗議行動だ。のろのろでなにが悪いか。