ソリティア

 ソリティアは、正確には「一人遊び」という意味らしい。ボードゲームやカードゲームの内一人だけで遊べるゲームの総称らしく、パソコンの中にインストールされていて手軽に遊ぶことのできるあのソリティアは「クロンダイク」と呼ぶということを、私はトランプを買って初めて知った。

 トランプを買ったのは、私がカードなるものを好むからで、背中を押したのは、

ソリティア(正確にはクロンダイク)ってトランプでできるじゃん」

という当たり前の事実に気づいたからだった。

 私はトランプを持っていなかった。その理由は様々で、例えば、机にカードを並べてゲームに興じるよりそこら辺を駆け回る遊びの方が好きだったから。はたまた、トランプで遊ぶような人がいなかったから。そもそも他人と遊びたいという感覚が希薄だったから。

 トランプは誰かと遊ぶことのできる人が持つもので、自分はそんな人間ではないと思っていた(今も思っている)。そして私はいまだに花札やUNOには手を伸ばせない。カードゲームには相手が必要だ。

 トランプは一人でも遊べるらしい。そして遊び方はソリティアクロンダイク)だけでもないらしい。だから私はトランプを買った。

 実際に現物のトランプで遊ぶソリティアは刺激的だ。マウスでカチカチとクリックするより何倍も楽しい。自分の手で、指でカードをめくる楽しさ。ここ数日、仕事終わりにトランプの箱に手を伸ばして1ゲーム遊ぶというのが楽しみになっている。マイブームになるかはわからないけれど、楽しいことに違いはない。私は日夜、運と対峙している。

 運。カード運びにはコツがある。ただどうしてもソリティアには「択」が発生してしまう。一番右の列のJを移動させるか、右から三番目のJを移動させるか。両者択一が厳然として目の前にある。私は興奮する。どちらを選んでも何とかなる場合もあるし何とかならない場合もある。ただどちらも動かさないという選択肢はあり得ないという状況。私は一番右のJを動かしたけれど、詰んだ。もう一方のJを動かしたらどうなったのだろうと考えても仕方がないが、私は確かに分岐路の一方の道を選択した。その事実に色めき立つ。人は日々たくさんの選択をしているけれど、行かなかった道の存在すら気づかないことがほとんどで、「お前は選択を常にしているんだぞ」と己を諭す意味でもソリティアは意義深いゲームだと思った。私は行かなかった道について深く考え込むことはしないし、進んだ道が私の進むべき道なのだと思って疑わないが、選択の存在を意識すること自体は大切なことだった。

 ソリティアは一人遊びという意味らしい。ソリティアという言葉があってよかった。一人で心ゆくまで遊んでいても、それはこの世に存在して良いものだと思えるから。