空白を埋める

昼寝。30分でタイマーをかけ「あと30分」を二度ほど繰り返す。疲れていたらしい。確かに午前中は頭が痛かったし、ズドンと落ちた感覚があったのでそれならば寝た方がいいと思って30分の昼寝と相成ったわけだが、予想以上の疲労だったというわけだ。

新しく本を借りないと読む本が無くなってしまう。しかし、図書館のカウンターで2冊ほど返却処理をすると「あと1冊返してない本がある」と告げられる。どうやら先週延長したと思っていた処理ができてなかったらしい。結果的に延滞になっているから新たに本を借りることもできず(館員さんに伝えれば借りることができたかもしれないがそれは億劫で)何も借りずに図書館をあとにする。新しい本を読む、そのタスクの為に空けておいた心のスペースが宙ぶらりんになってしまい落ち着かない。まだ読んでいる途中の本があるにも関わらず、早くも別の違う本を読みたくなっている。

場面は移動してプールの近くにある書店。埋まらなかったスペースを埋めたいが為に、私は本を探している。文芸の棚を眺めてもいまいち手が伸びず、息が詰まる。呼吸が浅い。本の主張が激しくて苦しい。調子が悪い。図書館なら澱みなく本を見つけられるのに。「本を買う」というのは自分にとっていまだにハードルが高いらしい。読みたいイメージは、ストーリーがない小説。メッセージ性が強くないもの。味の薄いテキスト。なかなか見つけられないので悲しくなってきた頃に、薄くて小さくて幅が狭い本を見つける。なかなか良さそう。心が躍ってそのままレジに持っていった。マチなしの紙袋に入れてもらって、ほくほく顔で書店を出る。

しかしここで困ったことに、黒い雲が心の中に立ち込めてくる。自分の空白を、欠落を、本に埋めてもらうということ。それ自体は誰もがやっている自然なことだが(対象も様々)、なんだか私のそれが「男(女)を買うことみたいだ」と思ってしまったのだ。たまたま今、そういうテイストの小説を読んでいたから連想してしまっただけであろうが、浮かんできたそのイメージは私を困惑させた。悪いことだと言っているわけではない。買うという行為の、その根っこにある不在を埋めようとする強烈な力、衝動に、恐れみたいなものを抱いただけのこと。とはいえ、私は真面目すぎるし、潔癖だと思う。シリアスに考えすぎ。良さそうな本を買った、それでいいじゃないか。

泳ぐ。重い。特に肩が上がらない。一週間と少しぶりでこんなに重たくなるものだろうか。自分が気づいていないだけで、実はどこか体の調子が悪いのだろうか。考えたところで重たいものは重たいので、ゆるゆると泳いでおしまいにする。50mごとに頭の中でかける曲を変える。サビが終わる前に50mのターンがきてしまうので、結局65mくらいで1番のサビを流し終える。ジャグジーで体を温めて、プールサイドでスポドリをぐびぐび飲んだ。市販のものは味が濃い。

 

泳ぐと、疲れると、空白を空白と思う心を見失う。