姉と妹

 「きょうだいがいるとしたら、私は年上か年下か、どちらに見えます?」と聞いたことがあって(聞かれる側とすればこの上なくどうでもいい、忌々しい質問だなと思うので、今後は絶対しない質問)「姉」か「末っ子」という二極化した回答をそれぞれ得られたことがあって、一見するとしっかりしてそうなところが姉、無邪気で奔放に振る舞ってそうなところが末っ子に見えるのだろうか、と一応自己分析しているが、実際のところ、私は姉である。それは逃れられない事実として。

 妹(きょうだい)が引っ越しをしたので何か欲しいものがあるかと聞いたら、「棚が欲しい」と言う。ずるずると引き延ばしていたのを本人から遠慮がちに催促されたので(というのも、その棚に置きたいものがあるらしい)秒で指定されたものをオンラインで買い、妹宅に送りつけるところまでやって一息である。

 

 姉と言うのはそういうものだと思う。ただ、私は誰からも何ももらえないだろうな、とも思って、ほんの少しだけ、泣きたくなってしまった。

 

 私は人にもらうよりも人に与える方が好きで、妹は人に欲しいものを屈託なく、ちゃんと言える人間だった。妹はファミレスに行けば一番高いステーキ(仮)を頼める人間だったし、私は一番安いチキンを頼みたい人間だった。

 その違いをもちろん私も考えたことがあって、確かに外部的な要因(私の場合は、自分がそうすることでお金を払う人の負担が減らせるだろう、という想像)があるけども「自分だって好きなものは頼んでいいはずだ」ということはちゃんと理解していて、その上で、チキンステーキの方が私が楽だった。私が選ばされているのではなく、私が選んだという気持ちは持つようにしようと思ってきた。妹を恨むのは違うなと思ってきた。

 「何か欲しいものはある?」そう聞かれても、私は答えられない。私は、自分の欲しいものは自分で手に入れないと気が済まないし、自分が欲しいと思っていないものをもらってもそこまで嬉しくない(自分で手に入れてない分冷たくしてしまって、結果的に無駄になっちゃうなあ、と思ってしまう)。だから何も答えられないだろう。誰からも何ももらえない私は自分で自分を幸せにするしかないという孤独に蝕まれ、それはもはや慢性的な病みたいだなと自嘲気味に笑ってしまう。

 姉も妹も、それぞれに大変で、それぞれに葛藤があって、姉と妹はそれをぶつけ合ったことが一度もなく、おそらくこれからもないだろう。私は忘れやすく割に冷淡だから、大体において妹のことを忘れているし、彼女にも彼女の人生がある。私はそれが安寧というものだと思っている。

 遅くなったことを詫び、棚を組み立てるときに気をつけるよう言葉を添え、妹はそれに対し返信し、私が返事をすることはない。彼女はだらだらとメッセージを送ってくるきらいがある。いつまでもやり取りが続くような気がして嫌だ。