霧の温度をした好き

 国語辞典で「好き」を引いてみると、存外あっさりと書かれていた。

 様々な「好き」をひっくるめた上で「ああ、私って人をあんまり好きにならないな」と薄ら寒い思いを抱いてきた身としては、体のこわばりが少しほぐれたようであった。そもそもだ、好きの度合いを他者と比較することがおかしい。また自分の中で比較したところで、意味があることなのかはわからない。好きなのであればそれでいいのでは。

 私の中で「友愛的に」「恋愛的に」「性愛的に」「家族愛的に」などといった、より限定的な好きというのはしっくりときていない。対人に関する私の「好き」はどこか曖昧でぼんやりとした、薄いものかもしれない。例えば霧のような。

 感情にかき乱されるのは嫌。霧の中でもがくのは徒労。その冷たさを肌で感じる方がよほど素敵なこと、と思う。

 ああ、霧、ね。霧というのはいい。霧と「冷たい」というのは私の頭の中で一緒になっている。「霧のように好きになる」というのが我ながら気に入った。これから使っていこう。

 話は変わるけれど、この冬も(この冬こそ)色々なところに行きたいから、その時に着ることができるいい上着を買いたい(けど、どこで見つけられるだろう)。それこそ、見通しが悪い薄灰いろの世界でも毅然とかっこよく見える素敵な上着を。