女は台風を飼っている

 という一節は、電車に乗りながら本を読んでいる最中に降ってきた。

 台風とは無論"生理"のことである。

 だからなんだ、という話である。台風なんて、来ないなら来なくていいではないか、という話も一理ある。でも私はあまりそうは思わない。子宮をとるならとるでホルモンバランスの崩れなど悪影響もありそうだし、現実的ではない。少なくとも私にとっては。真剣に考えていない。考えない。考えなくていいという幸福。『海獣の子供』で「台風によって海の中もかき混ざる。それも一つの必要なことなんだよ」みたいな台詞があった気もするので、台風には台風の役目があるのかもしれない。ただ、そんな風に悠長なことを考えられるのは、比較的生理に関して悩むことがないからこそだろう。

 台風を飼っていてよかったことを無理やり挙げるなら、自分は台風を飼っているということに自覚的でいられることだろう。どういうことか。何事も始まりがあり終わりがあるということだ。私の場合は、一日目の後半から二日目の前半が最も重たいのだが、それを乗り越えてしまえればなんてことはない、割とけろりとしている。むしろ急勾配の山道を登った後のなだらかな下り坂なので、平常時より元気なくらいだ。軽くバフがかかってしまう。台風の翌日、晴れ渡る空、朝日できらめく葉末の露は美しい。というのは聊か持ち上げすぎだが、まあそれに近いと言えば近い。

 雨はいつか上がるのだということを体の内側で実感できるということ自体は、悪くないと私は思う。人生への汎用がきく。悪いことはいつかは終わる。いつかは。

 とはいえ、生理がないのって羨ましいなああああああと思わなくもない。悔しいので言わないけど(言っている)。