月見バーガーを頬張りながら

 月見バーガーを頬張りながら無意味な(その無意味さがいいところなのだろうけど)バラエティ番組を見ていたらCMに切り替わった。ふうん。月見バーガー、おいしいな。肉、肉、肉。月見バーガーとは? と問われたときに「肉です」と答える人はそう多くないと思うけれど、私は「肉です」と答えてしまうかもしれない。ハンバーガーは結局パティなのである。

 最近の私は寡黙ということを目指している。あくまで目指しているのだから、実際の私は寡黙ではないのだろう。けれどいずれは寡黙な人になりたい。喋ることはたくさんあるし、許されれば延々と喋ることのできるタイプだと思う。けれど今は喋りたくない、疲れている。

 テレビから宇多田ヒカルの曲が流れてくる。何。この曲知らんのだけど。SpotifyのCMらしい。曲名が見えなかった。何だったのだろう。とても気になる。私はスマホを操作してGoogleのアプリを立ち上げると、検索バーにキーワードを打ち込んでいく。宇多田ヒカル Spotify CM。曲名はすぐにわかった。アルバム「BADモード」に収録の「Somewhere Near Marseilles ―マルセイユ辺り―」だ。このアルバム聴いていたはずなのにな、知らなかった。好きな曲だ。この文章は宇多田ヒカルを聴きながら書いている。

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 そう。書いている。文字通り。手書きでA4のコピー用紙に私はこれを書いている。きっと文章を一通り書き終えたら、ブログの編集画面を立ち上げ最初から打ち込むのだろう。どうしてそんな面倒なことを? そもそも私が何かを書く理由がそれだからねえ。つまり、A4のコピー用紙に何かを書くのが好きなのだ。

 面白い発見もある。手書きとキーボードでタイピング入力した場合とでは、同じような題材でも出てくる言葉が違うということ。キーボードは楽だから調子に乗りやすい。手書きは最短ルートを行きたがる。どちらも個性、私は両方を行ったり来たりできたらいいなと思っている。

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 机の上に置いているアルパカのぬいぐるみを手に取る。そういえば、この子を買ってからもうすぐ1年になる。あの日、私は知らない町の知らないラーメン屋の暖簾をくぐって、その店で出てきたラーメンには細切りにした青じそがトッピングされていた。覚えている。日頃ぬいぐるみを買うことは滅多にない。けれど、手元に置くと決めたときは、きまって「この子を幸せにできるのだろうか」ということを考える。もし仮に私が逆の立場だったなら「あなたに幸せにしてもらわなくても私の方で勝手に幸せになりますから!!!」と言ってのけるだろう。でもそれをアルパカちゃんに求めるわけには当然いかない。ぬいぐるみの幸せとは。私にはわからない。わからないので、これからは時々、やさしくその頭を撫でようと思う。

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 宇多田ヒカル、いいな。広がる世界の膨張が一時停止し、きゅっと元の、手が届く大きさに縮むような。駄目なときのパターンにも色々あるが、今回は世界の収縮と膨張の制御がきかないやつだった。際限なく考えているうちに、何が何だかよくわからなくなるのだ。自分ではどうすることもできないことを憂く一方で、手近な問題を蔑ろにする(ある種の逃避なのだろう)。ここ最近の私は、拡張していくものを止められないイライラで厳しかった。経験から広がりはそのうち止まることを知っているが、何もしない/何もできない自分が惨めで嫌になる。

 月見バーガー宇多田ヒカルも、ふわふわと上昇し続ける風船につける錘のようなものだ。書くことは言祝ぐことで自分を地につける行為だと思っている。