私を透明化した好き

 それを好きであることで自分の存在が担保されるような好きは、多分きついのだろうな。そんなことを朝方考えていた。落ちこんでいたとかそういうことはなく、好きな曲を何も考えず聴いていたら泡のように浮上してきたのだ。

 昔は(そして今もうっすら)自分のアイデンティティ代わりに何かを好きになったものだし、そうしなければおそらく生きるのがもっと大変に思えただろう。きつい時期を抜けた先で「やっぱり好きにならない方がいいっすよ」というのはちょっと虫が良すぎるというか「うざい大人の戯言」だろうから押し付けようとも思わない、生きのびることが先決だろうし。その上で、抜けた先に立つ私から私に言いたい。自分の存在を証明する為に何かを好きでいるのはできることならやめておきな。私は私について考えるのが割と楽しいみたいだけれど、自分に固執しても得られるものには限りがあるのだ。

 とことん私を透明にした上で何かを好きになれたらいいのだけれど。もう何も好きになりたくない、好きになることはとても疲れることだ。自分というものが溶けてしまって、それでも好きなんだと思える何かに出会いたい。楽だと思うから。